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誰も幸せにならないLGBT法案 住みにくくなる日本 その2

Japan In-depth / 2023年6月20日 11時0分

まず、前者から見て行くが、そもそも「わが国の伝統」とは、一体いつの時代のことを言っているのだろうか。





わが国は、キリスト教やイスラム教の精神文化にあまり影響されてこなかったという事情もあって、同性愛を罪悪視する発想がそれほど根付いていなかったのが事実である。





サムライが大活躍した戦国時代でも、たとえば加賀百万石の祖である前田利家などは若年の頃、主君・織田信長に幾度となく「寝床で寵された」と伝えられるし、当時はこれをセクハラだの性暴力だのと考える人などいなかったのだ。





天下泰平の江戸時代になっても、今で言うゲイは「衆道」と呼ばれて、とりたてて罪悪視されることもなかった。





「武士道とは死ぬことと見つけたり」という一節で有名な『葉隠』でさえ、わざわざ一章を割いて「HOW TO 衆道」みたいなことを記している。





庶民階級でも、そのあたりの事情は似たり寄ったりで、たとえば『東海道中膝栗毛』の弥次さんと喜多さんは、もともとゲイ・カップルであったし、陰間(かげま)と言って、体を売る少年たちも公認されていた。





それが明治期になると、わが国は近代化=西洋化の道を歩むことになり、キリスト教文化圏の価値観が流入し、同性愛は罪悪視されるようになった。さらには富国強兵という国是のもと、男子はお国のために身命を捧げること、女子は「陛下の赤子」を産み育てることこそ美徳なのであると、教育を通じてたたき込まれる、という世の中になったのだ。





以上を要するに、LGBTの人たちは生産性がないなどという「差別的発想の水脈」をたどったならば、軍国主義のイデオロギーを補完する、富国強兵という国是をよきものとすることにしか行き着かないのではないか。





もうひとつの、この法律ができた結果、自分で「心は女性」だとする男性が、銭湯の女湯や女性用の公衆トイレに入ることを止め立てできなくなる、という話について。





これは結論から述べると、デマである。





公衆浴場の側には「営業権」というものがあるので、男性の肉体を持った人が女湯に入ることを禁じるのは、経営者の裁量に任せてよいのだ。これは差別だ、と言って騒ぐ人も中にはいるかも知れないが、他の利用客に迷惑になる行為こそ、法律で禁じられている。端的に、お引き取り下さい、と言われても食い下がるようなら、警察を呼んで不退去罪に問うことができるのである。





現状すでに7歳以上の子供は異性の浴室に入れない、というガイドラインができている。極端なことを言うようだが、性的マイノリティの人たちは多くの場合、子供の頃から自身の性に違和感を抱いている。





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