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フランス暴動の背景に「郊外」問題

Japan In-depth / 2023年7月6日 18時0分

なお、刑務所内では、警官の身を守るために隔離された環境にいるという。


 


亡くなったナエルさんの遺族


ナエルさんの母親であるムニアさんは警官に息子が射殺された後、インスタグラムのライブに生出演し「彼らは私から息子を奪い去った」と感情をあらわにした。


母親は火曜日の朝、ファストフード店で食べ物を買うつもりだった息子と同時に家を出て仕事に出かけたという。シングルマザーとして息子と二人きりで生活してきたムニアさんは、「彼は私の人生であり、私の親友であり、私の息子であり、私にとってすべてでした。」と嘆いた。そして、28日の木曜日午後2時からナンテール県での白い行進を呼びかけたのだ。


 


暴動が発生した背景


この警官による射殺事件をきっかけに、フランスの「郊外」では暴動が始まった。それは、長い間積み重ねられた警官への不信感が大きいことも原因だ。こういった地域には警官に屈辱を与えられた人たちも多く、一度与えられた屈辱は忘れることはない。深い憎しみだけが植え付けられていく。そして不満がつもりつもりっていくのだ。


こういった地域では、今回の警官による射殺事件は「警察における人種差別問題」だと考えている人が多い。「郊外」に生まれたというだけで日常的に差別され、警官から虐げられる日々を送っていれば、そういう考えに至るのも当然だ。


郊外のことをフランス語でバンリューという。以前は、工場が点在していた場所だが、このバンリューに住む人々は、長い間フランスで邪魔者扱いされ、差別され、不運な暮らしをしてきた。


このバンリューには低所得者用の住居が大量に建てられている。以前は工場で働く人々がバラックを建てて住んでいた場所に低所得者用の住居を建てたのだ。だが、単なる低所得者が住んでいるのではない。その昔、工場で働くために移民としてやってきた人々が多く住む地域なのだ。


フランスは19世紀後半から出生率が低下し始めた。第一次世界大戦時にはさらに多くの若者を亡くし人口が著しく減少したのである。そこで、スペイン、ポルトガル、ベルギー、イタリアなどから移民を受け入れ始め、多くが農業従事者として働いた。しかしそれだけでは移民の歴史は終わらない。第二次世界大戦後の「栄光の30年」と呼ばれた経済成長期(1945年〜75年)にはさらに安価な労働力が必要とされ、元植民地だった地域、特にアルジェリアから大量の移民を受け入れたのだ。彼らの多くは炭坑や自動車工場の労働者として働き、戦後のフランス経済の復興と成長を支えた。


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