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平成22年の年賀状「明治の日本、戦後高度成長の日本」・「場所と私、人生の時の流れ、思いがけない喜び」・「紅茶と結石と年賀状」

Japan In-depth / 2023年8月16日 23時0分

平成22年の年賀状「明治の日本、戦後高度成長の日本」・「場所と私、人生の時の流れ、思いがけない喜び」・「紅茶と結石と年賀状」




牛島信(弁護士・小説家・元検事)





故郷広島への転勤も一年だけで、二十九歳のとき弁護士になって広い東京に舞い戻りました。丸の内でした。隣は亜麻色の口髭のアメリカ人弁護士で、インベーダー・ゲームに夢中のようでした。

 三十五歳になって青山に移りました。南青山一―一―一。明るい太陽の光と緑。毎日がイタリア暮らしの予感。確かに東京は広いようです。食事もイタメシが多くなりましたが、現実はトウキョウアイト(東京の人)の暮らしでした。

二十年して五十四歳を過ぎてから、永田町へ遷りました。青山の十四階から永田町の十四階へ、空を雁のように一列になって飛んで、窓から窓へ。

 そして六年。

「えぽれっと(肩章) かがやきし友 こがね髪 ゆらぎし少女(おとめ) はや老いにけん」

南山の戦いを終え二十年前のベルリン時代を想う鷗外の感慨は、私のものでもあります。

毎晩、ベッドの中で漱石を読んで、それから目を閉じます。今は、何度目かの『明暗』です。





 【まとめ】





・自分はどうやら死んでいくらしい、と思いながら死ぬ方がよいのではないか。石原慎太郎さんの死はそうだった。





・書いたものは残る。残ると思いながら死ぬことができるのが文章を書く人間の特権。





・石原さんの心の広さを再認識。本を書いていると起きる偶然がある。生きているのは良いものだ。





 





2年の検事生活を経て29歳で弁護士業開始、35歳で独立。





丸の内から南青山へ。そして54歳で永田町へ。





「空を雁のように一列になって飛んで、窓から窓へ」というのは、江藤淳のエッセイからの引用である。アメリカから帰ってきて、まるで無宿者のように妻と犬一匹とで各所を右往左往したあげく、遂に決心していろいろな出版社から七ところ借りに借りて市谷左門町にあるマンションを買い、奥さんと犬一匹で引っ越したのだ。そのときの喜びと覚悟。新居のあの部分はあの出版社からの借金、あちらの部分はあの出版社からの前借りであっても、と隠し切れない悦びが溢れていた。そのときの江藤さんの心のなかにあった心象風景を改めて思う。私自身は、江藤さんが自らを叱咤しなければならないような心境だったわけではない。しかし、初めて読んだときからこの表現が気に入っていたので、それでこの年の引っ越しを知らせる年賀状に使ってみたのだ。





ところが、今回、江藤さんのどの本からの引用だったのかを探してみたのだが、みつからない。彼がアメリカへ行く前後の苦労話を書いた本だったのは覚えているのだが。





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