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アラン・ドロン一家、日本人女性巡り法廷闘争

Japan In-depth / 2024年1月8日 21時27分

アラン・ドロン一家、日本人女性巡り法廷闘争




Ulala(著述家)





「フランスUlalaの視点」





【まとめ】





・フランスの映画俳優アラン・ドロン家族の亀裂が表面化した。





・息子アントニー・ドロンらは、アランの世話をしていたヒロミ・ロランを告訴した。





・しかし1月4日、検察側が嫌疑不十分でヒロミを不起訴処分とした。





 





2023年クリスマス、二人の息子と孫娘たちに囲まれた現在88歳のフランスの元映画俳優アラン・ドロンの家族写真が公開された。しかしながらそこには娘の姿はなかった。この頃にはすでに水面下で何かが始まっていたのかもしれない。このあとすぐにドロン家族の亀裂が表面化する。あの穏やかなクリスマス写真はまさに嵐の前の静けさを映し出していた。





アラン・ドロンは、1957年のスクリーンデビュー以降、『太陽がいっぱい』をはじめとする数々の名作映画に出演したフランスの代表的俳優だ。インドネシアのスカルノ大統領の第3夫人だったデヴィ夫人がフランスの社交界でアランと出会えたのも、その甘いマスクで世界中を魅了していた大スターだったからこそである。





アランには3人の子供がいる。ナタリー・ドロンとの間にできたアントニー・ドロン(1964年生まれ)と、オランダ人のトップモデル、ロザリー・ファン・ブレーメンとの間にできたアヌーシュカ・ドロン(1990年生まれ)、アラン=ファビアン・ドロン(1994年生まれ)だ。アントニーだけ母親が別であり、年の差がある腹違いの妹と弟は、どちらかと言えばアントニーの子供と同じ世代だ。そのためたとえ父親が同じでも完全に別の世界で生きてきた兄弟。考え方などもかなり違っていることは間違いない。





しかし、一時期、兄弟3人が一致団結したことがある。それは昨年7月、一緒に住んでアランの世話をしていた日本人女性ヒロミ・ロラン(67歳)を追い出したときである。





2019年5月、第72回カンヌ国際映画祭で映画界への長年の功績をたたえて名誉パルム・ドールが贈られたアランだったが、同年7月に脳卒中を発症した。そのためフランスのロワレ県ドゥシーの自宅で余生を送っていたのだ。だが忙しい子供たちはほとんど見舞いには来ない。脳卒中後、献身的にアランを介護し続けたのがヒロミであった。





日本人女性ヒロミ・ロランの排除





ヒロミ・ロランは、1980年代から1990年代にかけて多くのフランス映画でセカンドやサードの助監督を務めた日本人女性だ。彼女は1992年にアラン主演の映画『カサノヴァの最後の恋』でセカンド助監督として働き、アランのアシスタントを務めていた。彼女によれば2003年からドゥシーのアラン・ドロン自宅で一緒に暮らしてきたそうで、最初は秘書的な立場だったのだが、2019年にアランが脳卒中で倒れてからより親密な立場に変わっていった。





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