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旧統一教会のニューヨークのホテルとは

Japan In-depth / 2024年3月15日 12時33分

1992年5月のことだ。フィラデルフィアの路上で日本人男性が、バラの花束を売ってる最中、強盗に襲われ死亡した。





この男性殺害事件は当時、なぜか日本では報道されなかったが、1年後、殺された男性の弟が「週刊文春」に告発の手記を寄せたことでさまざまなことが公になった。(※2)





男性は「園花」の料理人であり、また、熱心な統一教会の信者でもあった。その日は、教会の指令で、他の信者と共に、教会の経済活動の一環で、花束の路上販売にフィラデルフィアまで出かけて行ったということだった。ニューヨークからフィラデルフィアまでは車で2時間程度の距離にある。





この告発記事を受け、私は、教会批判キャンペーンの先鋒であったジャーナリストと、男性信者の親族と、男性が埋葬されたという墓地などを取材で訪れたのだが、現地で事件の顛末を辿っただけで、それ以上の取材は出来なかったと記憶している。当時の状況を考えれば当たり前ではあるが、取材は、教会側にすべて取り合ってもらえなかったのである。





「ニューヨーカー・ホテル」が統一教会のアメリカ本部になったのは、教祖の文鮮明が1972年に活動拠点をアメリカに移したことに始まる。





この年、文鮮明はニューヨーク郊外に豪邸を購入、家族をも呼び寄せ、1974年にはアメリカの永住権を取得して、完全移住を果たした。









▲写真 1972年に文鮮明が62万5,000ドルで購入した、部屋数25のウエストチェスターの豪邸の入口の現在(グーグルマップより)※3





1976年5月にニューヨーカーホテルを購入してアメリカ本部とした教会は、この年を皮切りに本格的な米国進出を始めたと言っても良い。(※4)





同年9月、教会はニューヨーカーホテルに隣接する巨大ホール「マンハッタン・センター(旧称マンハッタン・オペラハウス)」も「200万ドル以上(実際には300万ドル)」を支払って購入した。(※5)









▲写真 旧統一教会が「ニューヨーカー・ホテル」と共に購入した、ホテルに隣接する大イベントホール「マンハッタン・センター」(筆者撮影)





1906年に作られたこの大ホールは、文鮮明の息子である文孝進が、1990年代後半まで運営を任されたが、元妻の洪蘭淑によれば、私生活に起因する問題が原因で、文鮮明に出入りを禁止された。文孝進は、その後、2008年に心筋梗塞で死去している。(※6)





しかし、その後も旧統一教会は「マンハッタン・センター」も「ニューヨーカー・ホテル」同様、運営は外部に任せ、現在も施設を所有している。





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