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「令和5年の年賀状」団塊の世代の物語(7)

Japan In-depth / 2024年8月16日 23時5分

週単位の相変わらずの生活は、実はこうした日常で支えられているのだ。





いまは昔の話、先輩の弁護士さんたちの後ろ姿を眺めて「まるでズボンの中に割り箸が2本入っていて、それが前後に動いているようでなんともあわれな姿だと感じたことがあった。」と8年前に書いている(『身捨つるほどの祖国はありや』244頁、幻冬舎2020年刊)。





それがもはや他人事ではない、自分もそうなっていると思い知らされたのが運動のスタートだった。66歳の正月に抱いた感慨だった。





私は運動をするたびに、私を独特の創造の哲学で指導してくださった早川吉春さんを思う。私より1歳年上だっただけなのに、2年前に亡くなられた。もし私のように定期的な運動を習慣にしていらっしゃれば、どれほど人々の役に立った方かと考えるのだ。自分が運動して身体を動かしている瞬間に彼のことをよく思い出す。こうしていれば良かったのに、と。





残念でならない。





そうした運動が私の読書と執筆を可能にしている。





『夢をかなえるために脳はある』(池谷裕二、講談社、2024年)は面白かった。ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』(河出書房新社、2018)以来の衝撃を受けた。ハラリの「キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法に過ぎない」(下巻210頁)と書かれた部分を思い浮かべたのだ。ハラリの本を読んだのは2018年の10月11日のことだ。私はキリンとトマトの部分を『身捨つるほどの祖国はありや』(幻冬舎 2020年)で引用している。(417頁)





生命体である私が運動をして若さを保とうとすることは、エントロピー増大の法則に逆らっている。それが生命だ。しかし、池谷氏は洗面台の栓を抜いたときにできる「渦」を持ち出し、我々生命体との共通点をあげる。「渦の構成要素、つまり水の分子は渦の中でどんどんと入れ替わっている。それは生命とまったく同じだ。」(499頁)。渦が水の位置エネルギー低下を加速するように、我々生命体もエントロピーという意味では同じことをしているというのだ。





池谷さんはこうも書いている。





「僕らはラベルの中に生きている。脳内の膨大なピピピ信号に、ひたすらラベルをつけて、それに準拠して僕らはものを考えている以上、ラベルがないと、そもそも、感覚も嗜好も真実もなくなってしまう。(中略)私の本質は『実体』にあるわけではない。むしろ『私』というラベルの側にある。」(548頁)ピピピ信号というのは電気信号のことで、例えば網膜に光が当たり、それが電気信号として脳の送られるというのだ。それは聴覚も触覚も同じだという。





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