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「令和5年の年賀状」団塊の世代の物語(7)

Japan In-depth / 2024年8月16日 23時5分

三津野から大木の携帯に電話があった。





一瞬の間をおいて、「ぜひ」、と懇願とも強要ともつかないひとことが続いた。





「いいですねえ」





大木はいつもどおりに答えた。大木にとっては、三津野との会食の時間は人生の悦びの一つだ。というよりも、三津野との会話のときが大木の人生というものを定義する重要な構成要素の一部なのだ。いつ、どんなときに話しても、なにかしら、啓発されずにはいない。問題は日取りだった。三津野は明日にでもいう調子だ。だがさすがに大木にとってそうは行かない。大木なりに予定がつまっているのだ。





<それにしても、いったいどうしたのかな>





きっと英子のことだとは察しがついた。いつもの三津野ではなかったからだ。





そもそも三津野からの食事の誘いは、秘書を介してメールでだいぶ先の日程でというのが習慣になってひさしい。それを自分で、直接、大木の携帯に電話してくるとは。





<岩本英子に会った三津野慎一氏に、いったいなにが起きたのか>





大木に話したいというのは、単に突然に始まった英子のことを話したいだけかもしれない。話すとすれば、それはのろけということになるに決まっている。のろける相手としては、確かに、広い世間に大木しかいないだろう。三津野ののろけを受け止める前提知識を持っているのは大木だけだ。しかし、それだけではないかもしれない。そんな浮ついたことではないかもしれない。もしそうでないとすれば、たぶんそれだけではないどころかなにか重大なことが英子との間に起きたということになる。





<ま、「英子に子どもができちゃってね」って話じゃないことは確かだけど>





愛人が妊娠したという話をなぜ思い浮かべたのか。我ながら不思議だった。職業柄かと小さな声をたてて自分をわらった。





<いやあ、二人を見ていると年齢を忘れてしまう> 





246、青山通りぞいに伝統工芸青山スクエアという名の大きなギャラリーとも店ともつかない施設がある。王子製紙のビルの1階だ。赤坂見附から246を渋谷に向かって左側の角になる。そこの手前のT字形交差点を左に入っていくと赤坂新坂パークアークマンションという瀟洒なマンションが見える。大木が青山のツインタワーに事務所を構えていた時代にはもう存在していたから、いまや古いマンションということになるのだろう。さらにその先に行くと道が下り坂になる。まさにその下る間際に、三津野が指定した紫芳庵という小さな料亭はあった。





「いやあ、この辺は私にはとっても懐かしい場所ですよ」





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