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手打ちそばがつないだ秦野と福島の縁 被災者やボランティア、自衛隊に炊き出しをした「石庄庵」石井さん

カナロコ by 神奈川新聞 / 2024年4月4日 17時45分

東日本大震災での炊き出しを感謝し、石井さん(右)の店を訪れた福島県立福島商高同窓会関東支部の原山会長ら=3月21日、秦野市寺山

 2011年の東日本大震災の際、福島県の高校でそば打ちをした縁が現在も続いている。手打ちそば店「石庄庵」(秦野市寺山)の石井貞男店主と仲間が震災翌月には被災者らにそばを振る舞ったことに感謝し、関係者が毎年のように同店を訪れる。石井さんは当時のことを思い出し、「義理堅い福島の方々。こういう人や地域とのつながりこそが宝」と色あせぬ友情をかみしめた。

 震災発生直後、福島県北部にある同県立福島商業高校の体育館には、東京電力福島第1原発事故の影響で双葉町などから避難してきた住民ら120人ほどが身を寄せていた。生徒や教師、同窓会などが奔走し、受け入れに尽力。同窓会の関東支部(原山伸之会長)でも義援金を集めて送るなど、後方支援に当たったという。

 石井さんは同支部と旧知の仲だったことから、炊き出しを決意。震災から1カ月もたっていない4月6日にそば粉25キログラムやずんどう鍋、プロパンガスなどを車に積み込み、仲間11人と約6時間かけて駆けつけた。

 避難所で石井さんらがそば打ちを披露すると子どもたちの人垣ができた。女の子から「弟がカップラーメンしか食べていないから、おそばを食べさせてあげたい」と言われた時は涙がにじんだという。活動する自衛隊やボランティアも含めた約200人分の温かいそばを提供。「避難者の琴線に触れ、心を癒やし、元気回復に多大な貢献があった」と記した感謝状が石井さん一行に贈られた。

 3月21日に秦野の同店を訪れた同支部の原山会長は「そこまでしてくれる人はなかなかいなかった。実際にはるばる来てくれたことがありがたかった」と振り返る。同校の再開と被災者の2次避難所への移動を間近に控え、心情的にも微妙な時期でもあったという。

 あれから13年-。放射性物質の除染作業は終わらず、まだ自宅に戻れていない県民がいることを念頭に、原山会長は「まだ震災、原発事故は終わっていない」と強調する。そんな中でも今年も秦野まで足を運ぶ。「いただいた縁は忘れない。感謝の気持ちはずっと変わらない」

 石井さんは「この縁を大切に、これからも何かあったらお互いに協力したい」と、そばで結ばれた絆の強さに胸を熱くしていた。 

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