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吉展ちゃん誘拐殺人事件 東京オリンピック前年に発生した凶悪事件の遺体遺棄現場にて|八木澤高明

TABLO / 2019年6月11日 15時0分

吉展ちゃん遺棄現場(筆者撮影)

雑居ビルや住宅が建ち並ぶ町の一角に吉展ちゃんが連れ去られた入谷南公園はある。事件が起きたのは東京オリンピック行われた前年の昭和38年のことだった。

参考記事:この事件から「人さらい」が全国に流布した 昭和の子供たちが親からもっとも大きな嘘をつかれていたもの「口裂け女」|中川淳一郎

上野御徒町の時計店に勤めていた犯人の小原保は借金を重ね生活に行き詰まっていた。親族に金を借りようと、故郷の福島県石川町に足を運んだりしたが、これまでも借金をしていたこともあり、結局は金を借りることはできなかった。何とか現金を得ようと考えていたが、たまたま見た黒澤明監督の「天国と地獄」から誘拐を思いついた。子供を物色し歩いている時に見かけたのが、当時4歳の吉展ちゃんだった。

入谷南公園のトイレで壊れた水鉄砲をなおそうとしていた吉展ちゃんになおしてあげようと声をかけ、南千住方面へと歩き出した。今では草野球場となっている東京スタジアムのあたりで、もう帰ろうよと吉展ちゃんに言われ、南千住にある円通寺の墓地に吉展ちゃんを連れていき殺害したのだった。遺体は墓の屍櫃に隠した。

小原は吉展ちゃん殺害後、まだ吉展ちゃんは生きていると偽って、家族から身代金を奪ったが、事件から2年後に逮捕された。事件を担当したのは名刑事としれ知られる平塚八兵衛だった。逮捕直後は否認していたが、最後は罪を認め、供述により墓地から吉展ちゃんの白骨化した遺体が発見されたのだった。

遺体が発見された円通寺に足を運んでみると、寺の僧侶が遺体が発見された墓の場所まで案内してくれた。平塚八兵衛のドラマが放映されたこともあり、墓地には手を合わせに来る人が絶えないという。

円通寺の境内には、戊辰戦争における上野の戦いの舞台となった寛永寺の黒門が移築されていた。今も黒門には弾痕が生々しく残っている。

戊辰戦争は上野の戦いの後、長州・薩摩藩を中心とする新政府軍と小原の出身地福島県の会津藩を中心とした東北諸藩との戦いになり、会津藩は新政府の軍門に下ることになる。さらには、平安時代の奥州合戦で源義家が、奥州で討ち取った蝦夷の首塚もこの寺にはある。

そもそも円通寺の開祖は蝦夷を討伐した坂上田村麻呂であり、東北との因縁が深い。福島出身の小原保がこの寺で子供を殺めたことが偶然ではないように思えてくるのだった。(写真・文◎八木澤高明)

あわせて読む:秋田女児殺人事件 娘を母親に殺害された父親が行政を訴えた理由 「助けられたのではないか…」

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