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半世紀前の「1973年」何があった? 「オセロ」が社会を席巻、「レジェンドの死」の衝撃も

マグミクス / 2023年1月1日 7時30分

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■花の中三トリオと新御三家が話題だった1973年

 近年では〇周年記念といった行事も多くなりました。筆者のように年齢を重ねると、あの出来事からもうそんなに時間が経ったのか……と驚くことも少なくありません。今回は50年前、半世紀前の1973年にあったことを思い出していこうと思います。もちろん「マグミクス」の記事ですから、マンガ、アニメ、ゲームを中心に話題を進めていきましょう。

 1973年というと内閣総理大臣は田中角栄さん。この名前でピンと来た方はおそらく50代以上の方だと思います。年末恒例の第15回「日本レコード大賞」の大賞は五木ひろしさんの「夜空」、最優秀新人賞は「わたしの青い鳥」の桜田淳子さんが、アグネス・チャンさんや浅田美代子さんを抑えて受賞しました。

 この淳子さんが、前年1972年にデビューしていた森昌子さん、1973年にデビューした山口百恵さんと「花の中三トリオ」を組んで人気だったことは、当時を知る人なら知っていて当然の話でしょう。花の中三トリオは、「新御三家」と呼ばれた西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんたちと並んで、この数年は若手歌手として時代を動かしていきました。

 1973年に発売された商品で今なお誰もが知るものといえば、やはりツクダの「オセロゲーム」でしょう。4月に発売されたオセロはアッという間にヒット商品となり、誰もが遊ぶゲームの定番となりました。

 大きな理由のひとつに単純明快なルールと、奥深い戦略性があります。そして、またたく間に広がった理由は、商品として買わない人も紙さえあれば自作でオセロを作ることができたからでしょう。筆者も教室にあったわら半紙でオセロを作ったことがあります。

 さらにオセロが流行り始めていくと、雑誌などの付録にもつくようになりました。振り返ってみると、当時の子供だった筆者は本物のオセロで遊んだ記憶はありません。自作するか、この雑誌付録の紙オセロでした。

 この他にも、当時遊んだオモチャゲームといえば、タカトクトイズから発売された「生き残りゲーム(後にデラックス版の生き残り頭脳ゲームとして再販売)」や「沈没ゲーム(後にデラックス版の沈没作戦ゲームとして再販売)」を思い出すことでしょう。

 4色の玉を落としあう4人用のボードゲームで、友だちの家に行くと誰かが持ってきて、よく遊んだ記憶があります。根強い人気があり、かなりのロングラン商品でした。余談ですが、同じくタカトクトイズがスポンサーだった特撮作品『円盤戦争バンキッド』で、秘密基地入口の鍵に使われていたことをおぼえている人も多いと思います。

 このほかにもキャラクター玩具では大ヒットとなった『マジンガーZ』の「超合金」と「ジャンボマシンダー」が販売されたのも1973年でした。このヒットにより、玩具屋では合金製のロボットが所狭しと置かれるようになります。

■マンガの世界にも大きな変革が? 伝説的な事件も起こった1973年

1973年、ブルース・リーの突然の死は世界に衝撃を与え、やがて空前のカンフーブームが到来する。画像は「S.H.フィギュアーツ ブルース・リー(Yellow Track Suit) 約140mm PVC&ABS製 塗装済み可動フィギュア」(BANDAI SPIRITS)

 1973年に創刊した雑誌で記憶に残っているのは、やはり児童向けTV番組雑誌「テレビランド」でしょうか。先行していた同種の「テレビマガジン」が好調だったこともあり、マンガ連載を中心にしていた「冒険王」とあわせて、この時代の児童向けTV番組の人気を後押しする印象深い雑誌となります。

 少年マンガにも大きな出来事がありました。当時、雑誌発行部数第1位だった「週刊少年マガジン」で人気マンガだった『あしたのジョー』がついに連載終了します。もちろん主力作品はそれだけでなく、『天才バカボン』や『空手バカ一代』といった後年にも知られる人気作品が他にも連載されていました。

 この人気作品を擁する「マガジン」に猛追していたのが創刊5年目だった「週刊少年ジャンプ」です。当時の「ジャンプ」の看板作品だったのが、『荒野の少年イサム』、『ど根性ガエル』、『トイレット博士』などでした。ここにTVアニメでも人気となってきた『マジンガーZ』が加わり、この8月に「マガジン」を抜いて雑誌発行部数で首位となります。

 当然、「マガジン」側も手をこまねいていたわけでなく、『うしろの百太郎』、『愛と誠』、『バイオレンスジャック』、『釣りキチ三平』といった後に有名作品となるマンガを、この年から連載していました。しかし「ジャンプ」の勢いは止まることなく、現在に至るまで発行部数首位の座を守り切っています。

 ところが人気作品『マジンガーZ』の連載がちょうど同じ時期に終了しました。これはTVアニメ側が児童向け雑誌にも連載したいという要望から、「マガジン」と同じ出版社の講談社発行の「テレビマガジン」に掲載したことがきっかけです。

「ジャンプ」側としても、ライバル誌と同じ出版社に連載するのは耐えられなかったのでしょう。これをきっかけに「ジャンプ」編集部はアニメ会社に不信をいだくようになり、長期にわたって連載マンガのTVアニメ化を拒むようになります。

 この1973年には、他にもマンガに影響のある出来事がふたつほど起きました。そのひとつが読売巨人軍のリーグ優勝および日本シリーズ9連覇、いわゆる「V9」です。いまだに破られない記録として、当時の熱狂ぶりをおぼえている人も多いことでしょう。

 そして、この翌年の1974年には長嶋茂雄さんが引退しました。実在の人物ながらマンガのキャラクターに匹敵するほどの選手が消えたことで、この後の野球マンガは少年野球といった甲子園を舞台にするものが目立つようになります。

 もうひとつは映画俳優としてブームの真っ最中にあったブルース・リーの急死でした。1973年7月20日のことです。ブルース・リーの巻き起こしたカンフーブームの影響は、死去した後の方が熱狂的に思えるほどでした。

 翌年1974年に放送開始した『ウルトラマンレオ』や『仮面ライダーアマゾン』を見れば、その影響力は一目瞭然です。ブルース・リーは死去したことで伝説となった人物でした。個人的には「マガジン」で連載していた『地上最強の男 竜』で、イエス・キリストが「世界で一番強い男」として宮本武蔵と一緒によみがえらせた展開が印象的でした。

 この時にヌンチャクもブームとなって、筆者も駄菓子屋でプラスチック製のオモチャを買った記憶があります。もちろんブルース・リーのようには誰も使えず、自分の体にあたって痛い思いをすることになりました。

 この他にもさまざまな出来事があった50年前の1973年。みなさんはどんな思い出があったでしょうか?

※本文の一部を修正しました。(2023.1.1 12:18)

(加々美利治)

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