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欽ちゃんが浅草軽演劇で体得した「笑いのノウハウ」は現代の至宝

メディアゴン / 2017年5月28日 7時40分

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

* * *

5月17日放送のNHK・BSプレミアム「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」を見て感じたこと、補足しておきたくなったことについて記す。

この番組は欽ちゃんこと萩本欽一さんが体得し、コント55号で一世を風靡した浅草軽演劇の「動きによる笑いのエッセンスとやり方」を若き芸人(小倉久寛、劇団ひとり、中尾明慶ら・・・だが、決して若くはない)に伝えておきたいという思いから始まっている。

舞台上で彼らに動きの稽古を付ける様子がそのまま笑いのドキュメンタリーになっている。

浅草軽演劇は団体による芝居である。そのなかで、もっとも嫌われた芸人は「奇抜」とか「ひとりウケ」と呼ばれる芝居の話とは関係ない突出ギャグをする芸人であった。

それはやがて大阪の吉本新喜劇に流れ、浅草軽演劇は松竹新喜劇に受け継がれたというのが欽ちゃんの弁である。

浅草軽演劇では台本なし、全編アドリブであることが強調されていたが、これは誤解を生みそうである、紙の台本がないだけで、設定はある。例えば「岡っ引きにお縄になった大工、それを追う大工の兄」などの設定である。やはり紙の台本はないがセリフもごく短くはある。

 大工の兄貴「親分さん待って下さい」

ここからあとはアドリブで展開しようと言うことである。

アドリブとは何も考えていない芸人の「その場の思いつき」と言うことではない。これまで、稽古を重ねてきて体に染みついた引き出しの中からその場に最もふさわしいものを選んで客に演す、というのがアドリブである。これはジャズのアドリブと同じ。

「芝居が先、笑いは後」これが大原則である。良い芝居をしなければ笑いにはならない、ふざけたりおどけた芝居をすることだけでは笑いは生まれない。

この際、セリフにより突っ込みでも、芝居を促す突っ込みでも、「的確な曖昧さ」が重要である。あまりに的確すぎると窮屈になってそれ以外の遊びが出来なくなってしまう。ツッコまれた相手が芝居が出来る余裕を残しておくことが大切なのである。たとえば「取り押さえても右手は動くように押さえる」のである。

【参考】<決定版・欽ちゃんインタビュー>テレビで大事なのは『遠い』こと(http://mediagong.jp/?p=4279)

浅草軽演劇は古くさい笑いだと感じる人がいるかも知れない。しかし、古くさければ新しい装いにさせればいいだけである。「アドリブで笑(ショー)」みたいな古くさいタイトルを付けなければいいだけである。新しい器に盛れば良いのだ。

大事なのはこの浅草軽演劇の動きの笑いのノウハウを知っている人が、今日、欽ちゃんなど極少で、それが「現代の宝」である、ということだ。この宝を体得し武器にして現代で戦ったら直ぐトップに立てるだろう。

ところで欽ちゃんは浅草軽演劇の芝居が出来る人として俳優の橋爪功さんを指名した。橋爪さんは橋爪さんで日経新聞のインタビューにこう答えている。

 「身体を使った芝居は得意。好きなんです。エノケンさんとか、有島一郎さんとか、昔のボードビリアンの体技が。亡くなった中村伸郎先生にしみじみ言われた。お前はどうしてコケるんだ?って。僕にとっては勲章です」

萩本欽一と橋爪功の競演。是非見たいものだ。

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