フジ新人・梶谷直史アナ、“15年野球一筋”最大の挫折乗り越え「自分史上最高の経験ができた」培った精神力から飛び出す力強い言葉の数々【モデルプレスインタビュー完全版】
モデルプレス / 2024年10月1日 17時0分
― 新たな着眼点の実況に魅せられたのですね。そういったことも就職の面接で話されたと思いますが、ほかに就職活動でどんなことをアピールされましたか?
梶谷アナ:他の皆さんは留学に行かれていたり、テレビ局でアルバイトしていたりといった経験がある中で、僕は何をしてきたのだろうと考えたら、もう元気と明るさかなと。僕は小学校2年生から大学4年生まで野球しかしてきていないので、皆さんと比べたら持っているエピソードトークは少ないと思ったのですが、もう「これだけ野球を続けてきた」ということをアピールしようと開き直りました。野球を長く続けてきたからこそ辛いこともたくさんありましたし、上手く行った時の喜びはもう何事にも変えられないということをアピールしました。
◆梶谷直史アナが挫折を乗り越えた方法
― 15年野球を続けていて、慶應義塾大学の体育会硬式野球部でもピッチャーとして活躍されていましたが、ハードな練習や試合などはありましたか?
梶谷アナ:正直、戻りたいかと言われたら戻りたくないと思うくらい、きつくて辛い苦しい思い出しかないです。野球は「失敗のスポーツ」と言われていて、プロ野球でもよく打つ良いバッターを「3割バッター」といいますが、それでも7割は失敗なんです。ピッチャーは特に失点するごとにマイナスがついていって、実際に僕が試合で登板しても抑えて当たり前という中で結果を出さなければいけなくて、同期と切磋琢磨していました。
― これまで1番辛かった挫折や失敗などを乗り越えられたという経験がございましたら教えてください。
梶谷アナ:高校2年生で肘の靭帯を怪我してしまって、その後復帰した時にイップスになってしまったんです。ブルペン(投球練習場)では投げられるのですが、試合では精神的な原因でうまく狙ったところにボール投げられなくなって、マウンドに立ってもストライクが入りませんでした。チームではキャプテンを務めていましたが、自分のプレーで結果が出ていないと部員にも示しがつかないという重圧もあって、監督に「キャプテンを辞めさせてほしい」と言いました。大学も慶應で野球をするために高校から入学していたのですが「野球は1回辞めよう」と考えるほど辛くて、毎朝起きるのも憂鬱で野球が嫌いでした。でも、引退して3ヶ月ぐらい経った時「どうしようかな」と考え、今まで野球しかしてきていないことに気づきました。父親も元々六大学野球がとても好きで、小さい頃から連れて行ってもらっていたので、両親のために恩返しをしたいという思いで、もう1度野球をやると決断しました。
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