写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第47回 【茂吉】文字と文字盤(3) 仮作明朝体の誕生
マイナビニュース / 2024年8月6日 12時0分
[注1] 東京築地活版製造所:とうきょうつきじかっぱんせいぞうじょ。通称「築地活版」。平野富二が1872年 (明治5) に東京・神田に長崎新塾出張活版製造所として設立し、のちに築地に移転。活版印刷、活字鋳造、印刷機製造など、明治から大正にかけて日本の印刷を牽引する存在だった。1938年 (昭和13) 閉所。築地活版がつくった書体を「築地体」と呼んだ。築地体は、秀英舎 (現・大日本印刷) の「秀英体」と並び、「明朝活字の二大潮流」のひとつとして、日本の書体デザインに影響を与えつづけている。
[注2] 青写真:あおじゃしん。〈「青写真」とは、濃い青色の地に、文字や線が白抜きで複写される技法、及びそれによって得られた印刷物のこと。ブループリントとも呼ばれる。日光写真の技術を応用した物で、光の明暗が図の濃淡に対応。銀塩類の感光物質を塗布した感光紙の上に、複写したい物を置いて複写する。青写真は長らく建築図面の複製に用いられてきたことから、この言葉自体が設計図書の意味を持つようになった。1960年代からジアゾ式複写機が普及。それにより安価にコピーを取ることができるようになってからは、複写用途で使われることはなくなってきている。ジアゾ式複写機によって得られる青焼きと青写真は異なる。〉東建コーポレーション「建築士用語集」 2024年6月4日参照
[注3] 「書体設計者はパイオニアの精神で……」『季刊プリント1』印刷出版研究所、1962.3 p.27
[注4] 「書体設計者はパイオニアの精神で……」『季刊プリント1』印刷出版研究所、1962.3 p.27
[注5] 「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975 p.17 ただし同書p.18に〈文字盤に収容する字数は五四六〇字とした〉とあるため「約5,000」とした。
[注6] 「書体設計者はパイオニアの精神で……」『季刊プリント1』印刷出版研究所、1962.3 pp.27-28 なお、この文章には〈昭和5年の事です〉とあるが、他の文献や、実用機の納品時期から、昭和4年のまちがいであるとおもわれる。「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975 p.17 でも「昭和四年の事です」と修正して掲載されている。
[注7] 志茂太郎:しも・たろう (1900-1980)。1934年、アオイ書房を創業。1935年4月、愛書誌『書窓』(1935年4月創刊) ほか、多くの書籍を刊行した。
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