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写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第49回 【茂吉】文字と文字盤(5) 茂吉と助手

マイナビニュース / 2024年9月10日 12時0分

[注6] 編集長インタビュー「『石井明朝体』事始」大久保武、聞き手 加藤美方『アステ』第1巻第1号、リョービ印刷機販売、1984.6 p.24

[注7] 編集長インタビュー「『石井明朝体』事始」大久保武、聞き手 加藤美方『アステ』第1巻第1号、リョービ印刷機販売、1984.6 p.25

[注8] 編集長インタビュー「『石井明朝体』事始」大久保武、聞き手 加藤美方『アステ』第1巻第1号、リョービ印刷機販売、1984.6 p.25には「青焼き」とあるが、いわゆる青焼き (ジアゾ式複写機) が普及するのは1960年代なので、ここでは「青写真」が正しいとおもわれる。

[注9] 大久保武「写真植字機研究所1931年」『E+D+P』東京エディトリアルセンター、1984.8 p.14

[注10] 編集長インタビュー「『石井明朝体』事始」大久保武、聞き手 加藤美方『アステ』第1巻第1号、リョービ印刷機販売、1984.6 p.26

[注11] 石井中明朝体については、亮月製作所「書体のはなし|石井中明朝体OKL」http://www.ryougetsu.net/sho_mmokl.html (2024年6月10日参照) にもくわしく書かれている。

活字史研究者の内田明氏は、築地12ポイント明朝と石井中明朝の画像を重ねて検証をおこない、「あ」など全体的に大きく変えた文字はあるものの、〈基本的に漢字・ひらがな・カタカナの群としてのサイズ感や、文字の骨組みという「活字書体全体」として見た場合には微調整の範囲にとどまっているように思います。〉〈群としてのサイズ感や、「東」や「愛」だけでなく全体的な「重心」や「ふところ」がこれほど一致するというのは、なぞって書いたということ以外に説明がつかないように思います。〉と結論づけている。内田明「東京築地活版製造所の12ポイント明朝活字と写研の石井中明朝MM-A-OKS|日本語練習虫」https://uakira.hateblo.jp/entry/2024/05/04/110427 (2024年5月4日 更新、2024年6月10日参照)

また、仮作明朝体と石井中明朝体MM-OKSの字形比較については、今市達也氏がかつてX (旧Twitter) に投稿されていたサンプリング研究も、まとめを待ちたいところである。
https://x.com/ima_collection/status/1133528992902860800?s=46&t=ud6VMzfII6UJMV-dZibN4w (2024年3月7日参照)

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