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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第2回 明治32年7月17日、日本電気株式会社の設立

マイナビニュース / 2024年10月29日 12時0分

1899年(明治32年)7月17日、日本電気株式会社が設立された。

この日は、外国資本の直接投資が認められた条約改正の発効日であり、NECは日本初の外資系企業として、誕生することになった。

資本金は20万円。米WEが54%を出資する一方、岩垂氏が33%の株式を持つなど、日本側の持ち株比率は46%となった。株式会社は7人以上の発起人を要するというルールがあり、役員には新たなメンバーが加わったが、実質的な経営は合資会社時代と変わらず、岩垂氏、前田氏、カールトン氏の3人がリードした。このときの岩垂氏の肩書は専務取締役だが、役割は社長そのものであった。

事業が本格化すると、想定したとおりに、沖商会との競争が激化した。だが、最新機械を導入する沖商会と、旧式機械で生産するNECとの国内生産力の差は歴然だった。NECが累計生産1万台を達成した1898年~1902年までの年平均生産台数は2900台。これに対して、沖商会は4200台の生産規模に達した。また、1901年~1902年までの電話交換機の自社生産の売上高を比較しても、NECは年平均13万6000円であるのに対して、沖商会は25万3000円と約2倍の差が開いていた。

だが、同じ期間の売上高全体を比較すると様子が違っていた。NECは年平均70万円を売上げ、沖商会の55万円を上回っていたのだ。

この差は、WE製品をはじめとした輸入品の貢献によって生まれたものだ。前田氏が打ち出した「Better Products, Better Service」の方針に則って、優れた技術を採用した海外製品を輸入し、これを優れたサービスとともに提供するという手法で、沖商会に対抗した結果といえた。外資系企業ならではの特徴を生かした経営ともいえ、実際、1901年の売上高71万円のうち、WE製品が61.3%を占め、輸入製品全体では71.3%を占めている。国内生産の自社製品は28.3%、他社の国内製品が0.4%という構成比だった。

日本初の外資系企業として誕生したNECは、「その発展の速さ、企業経営の斬新さ、技術の高さ、および日本国民の生活向上に果たした功績のいずれの点でも、外資合弁会社の先駆者として見事にその役割を果たした」と、同社70年史に記している。

だが、NECが目指していたのは、「自家生産優先」の事業体制である。輸入品による売上高を、国内生産品が上回ることが当面の目標となっていた。

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