変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第3回 勇気をもたらした国産無線技術と、戦禍を乗り越えた住友通信工業
マイナビニュース / 2024年11月5日 12時0分
いまからちょうど100年前となる1924年(大正13年)に、NECは、無線事業の第一歩を踏み出した。
1924年2月に、無線事業に関する詳細な計画案が取締役会に提出されて承認。まずはWEからラジオ放送装置を輸入することから事業を開始した。1925年にNHKの東京放送局および大阪放送局に納入したのが、NECにとって、最初の無線ビジネスである。その後も、各地の放送局にラジオ放送装置を納入。さらに、ラジオ放送装置の国産化にも着手し、そこでも成果をあげていった。ラジオ放送装置は、その後につながるNECの無線事業の起点となっている。
このとき、無線事業を牽引していたのが、「日本の無線電信技術の始祖」と呼ばれる松代松之助氏だ。世界で初めて電波式無線電信を実用化した人物であり、1905年に、「電話のNEC」に入社したことが話題を集めていた。当時はまだ無線機がようやく注目を集めたころであり、NECはこのときから無線に強い関心を寄せ、最高の布陣で研究に取り組んでいたのだ。実は、無線事業の最初の計画書も、松代氏によってまとめられている。
国産FAXの第1号機を完成へ、「有線優位」から無線進出への道程
だが、すぐに無線事業をスタートできたわけではなかった。当時は、WEの経営方針に基づき、無線への進出が難しかったこと、創業者の岩垂氏自らも、電話事業での成功経験をもとに、「有線優位」の認識を強く持っていたからだ。しかし、1923年10月の関東大震災により、災害時にも活躍する無線通信に注目が集まり、ラジオ放送に対する世の中の期待が膨れ上がっていた。その動きが、NECを無線事業に進出させる後押しとなった。
NECは、無線事業への参入にあわせて、1920年に設置した技術部のなかに、新たに無線実験室を設置。約80平方メートルの仮建設物を建て、WEが持つ世界最大出力を持つラジオ放送装置を導入し、各種実験を行っていた。有線から無線へと技術が転換するなかで、技術部も無線への対応を図っていったのだ。
その一方で、同社技術部は、1927年の組織改正で、その役割を大きく変えた。
それまでは、WEが持つ特許の管理や、進化が激しいWEの技術を検証し、理解することが役割となっていたが、「WEが作ってないものを作りたい」という新進気鋭の技術者たちにより、電話機以外の分野での自主研究がはじまっていったのだ。
その取り組みのなかで生まれたのが、1928年に完成させた国産FAXの第1号機「NE式写真電送装置」であった。
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