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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第3回 勇気をもたらした国産無線技術と、戦禍を乗り越えた住友通信工業

マイナビニュース / 2024年11月5日 12時0分

Nippon Electricの頭文字であるNEを冠したように、NECの独自技術によって開発した同装置は、同社の技術力を世の中に知らしめるエポックメイキングな製品となった。

NE式写真電送装置は、1927年に技術部に設置された伝送科が担当し、開発を進めていったものだ。

そのNE式写真電送装置が世界的に注目を集めたのが、1928年11月に、京都で行なわれた昭和天皇即位の大典であった。

京都から東京に、いち早く、鮮明な写真を伝送し、新聞に掲載することが求められており、日本の大手新聞各社が、欧米で実用化が始まっていた写真電送装置の採用を検討していたのだ。

NE式写真電送装置の導入を最初に決定したのは、東京日日新聞社(毎日新聞社)であった。

当初、欧州メーカーの製品を導入することを決定し、テスト段階まで進んでいたが、その結果、画像が崩れて使いものにならないことがわかり、「毎日新聞社は冒険を犯して」(NEC70年史より)、NE式写真電送装置を導入したのだという。

だが、結果はいい意味で想定外だった。NE式写真電送装置は、欧米メーカーの装置よりも、高速で、鮮明な写真を電送。紙面には鮮明な画像が掲載されたのだ。この成果を知った朝日新聞社や同盟通信社もその後に相次いで同装置を導入。逓信省も、東京-大阪間の公衆写真電報にNE式写真電送装置を採用するなど、日本においては独占状態となった。

当初は有線方式だったが、1929年には無線方式を開発。満州やベルリン、ロンドンとの実験でも良好な結果が得られたという。

NE式写真電送装置は、日本の電気通信機業界において、純国産品が輸入品を圧倒した最初の製品ともいえ、日本の技術者たちに大きなインパクトを与えるとともに、勇気も与えた。なかでも、この出来事を目の当たりにしたNECの若い技術者たちは大きな刺激を受け、同時に、NECが、WEの技術の模倣や追随から脱却し、独自技術の開発へと進む機運が一気に高まるきっかけにもなったのだ。
「本日は晴天なり」の一方で強まる戦時色、歴史の濁流のなかのNEC

無線事業をスタートした当時、NECが取り扱うもうひとつの製品が脚光を浴びていた。それは、放声装置である。会場の場内アナウンスなどに使用される拡声用音響装置のことで、WEのマイクロフォンの国内販売権を持つNECが、この分野では独占的な地位を占めていた。

1924年に竣工した明治神宮外苑競技場および甲子園球場に納入。その後も、貴族院および衆議院の両院への納入のほか、各帝国大学や各鉄道局、帝国ホテルや東宝、日劇、高島屋、白木屋(東急百貨店)などにも納入した。この放声装置のテストの際に、東京駅では、「コンニチハセイテンナリ」という言葉が使われた。その後、マイクテストでは定番として使われてきた「本日は晴天なり」の原型となる言葉で、NECが初めて使用したのである。

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