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写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第54回 【茂吉と信夫】奨励金交付の光栄の影で

マイナビニュース / 2024年11月19日 12時0分

〈この発明者は東京府下王子堀の内五一六に住む石井茂吉氏という工学士と助手の森澤信夫君の二人で、大正十三年から着手して八年目でようやく完成したが同機の威力はすでに認められ多数の印刷業者が永年使い馴れた活字を捨ててこの植字機を利用せんとしている〉

実際には、この時期に共同印刷をはじめ各印刷会社が納入した写真植字機はお蔵入りとなっており、若干盛った表現となっているのだが、それはさておき、ここで着目したいのはふたりの紹介のしかただ。信夫は「助手」と紹介されている。

筆者が把握しているかぎりで掲載メディアは3つ。

「本邦印刷界の革命」「内外彙報」『東京工場懇話会会報』(54)、東京工場懇話会、1931年3月20日発行
「印刷界の革命 邦文植字機成る」『大阪毎日新聞』1931年3月13日
「活字のいらぬ邦文植字機の発明 写真を応用して」『東京日日新聞』1931年3月14日

このうち大阪毎日新聞掲載の記事は、前半3分の2は『東京工場懇話会会報』とまったくの同文、記事の最後は『東京工場懇話会会報』の内容をやや省略してまとめたものに見える。東京日日新聞の記事は、前段に独自の書き出しを入れているが、それ以降は、多少語句の表現を変えている部分はあるものの、『東京工場懇話会会報』とほぼ同文だ。とすると、両新聞の記事は、『東京工場懇話会会報』に記事が出たことを機に書かれたものかもしれない。

そして『東京工場懇話会会報』で当該記事を掲載している「内外彙報」(国内外の工業に関する報告を集めたページ) の同一ページにおいて、当該記事の前に「恩賜発明奨励金交付規定決定」の記事が掲載されている。内容は、帝国発明協会が日本倶楽部で理事会を開催し、恩賜発明奨励金の交付規定について審議し、決定したことの報告。〈発明奨励金を交付すべき者及其の金額は本会調査委員の審議を経て理事会の決議に依り之を決定す〉とあり、理事会の約15名の出席者のなかには、やはり加茂の名がある。 [注9]

これはあくまで推測にすぎないが、このときの帝国発明協会の理事会で、すでに茂吉の邦文写真植字機が話題にのぼったのではないか。推薦者のひとりはおそらく加茂であり、彼がふたりのことを「石井茂吉氏という工学士と助手の森澤信夫くん」と紹介したのではないか。筆者の推測にすぎないが、信夫の名が助手としてメディアに出てしまったことの背景に、茂吉の能力と人柄を高く評価する人物の存在があった気がしてならない。 [注10]

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