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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第4回 戦後の「平和と家電」の時代、ラジオからテレビ、そして半導体へ

マイナビニュース / 2024年11月12日 12時0分

NECは、1947年にトランジスタの技術が発明された時点から、着目していたものの、当時の経営状況から、「経費なし」という条件付きで研究を開始した経緯がある。1950年には、技師長だった小林正次氏が海外視察にでかけ、ベル研究所でトランジスタのサンプルを入手し、これをもとに研究を加速。1951年には、NEC初となるゲルマニウム点接触型トランジスタを完成させていた。

だが、この時期に、NECが優先していたのは、ダイオードであった。電電公社(NTT)が力を入れていたマイクロ波通信の開発で、ミキシングダイオードが必要とされ、その分野はNECが独占する状態になっていたからだ。しかし、その一方で、トランジスタの需要は急拡大しており、社内にも焦りが出始めていた。経営陣は、ダイオードにとらわれすぎ、トランジスタへの進出が遅れたとの反省に基づいて、積極的な投資を決定。1956年に半導体開発部を設置し、半導体の開発とともに、半導体製造技術の開発にも取り組んでいった。

NECは、民生用として主流だったゲルマニウムではなく、シリコンを素材とした半導体開発に重点を置くという判断は、NECが半導体業界において優位性を築く基礎となった。

シリコントランジスタは、高周波や高出力、高信頼度化が進むにつれ、通信機器に広く浸透。また、量産効果によって価格が大幅に低下したことで、1968年頃からは、カラーテレビや音響機器の半導体化が加速した。シリコントランジスタは、こうした市場の要請に応える形で、より低コストが可能な樹脂モールドによる量産化へと発展していったのだ。
そして「通信とエレクトロニクス」のNECへ

シリコントランジスタは、民生用においても主流となり、NECの半導体事業の売上高は、1964年度の60億円から、1971年度には170億円に、1977年度には430億円へと拡大。さらに、工業用と民生用の比率は、同年には4対6と民生用が過半を占める形に逆転した。

NECの半導体事業の特徴は、民需用の半導体製品と、通信用および工業用のB2B向け半導体製品を区別し、しかも重点領域をB2Bに置いていた点だ。他社が一般民需用の半導体製品に重点を置き、それをもとに産業用に展開するのとは大きく一線を画していた。

もうひとつのポイントは、IC(集積回路)化が進むにつれて、デバイスからシステムにいたるまで広範な専門知識を持つNECの特徴を生かすことができたという点だ。それが、NECを国内トップメーカーの地位に引き上げることにつながっている。

なお、半導体事業を推進していた電子管工業部では、1956年から白黒テレビ用ブラウン管の生産も開始しており、1961年には量産体制を確立。その後にカラーブラウン管を開発し、1967年にはカラーブラウン管専用の最先端の量産工場を稼働させている。ブラックマトリックスの採用による高い品質が評価されていた。

このように、NECでは、トランジスタによる半導体事業を拡大するとともに、集積回路や電子計算機、テレビ用ブラウン管などにも事業を拡大。創業時には「電話機、交換機」、戦前には「有線、無線」が代名詞となっていたNECは、徐々に、「通信とエレクトロニクスの総合メーカー」と位置づけられるようになっていった。
(大河原克行)



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