変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第5回 通信技術の飛躍 - 戦後日本を支え、衛星が宇宙へ上がり、日本を守る企業へ
マイナビニュース / 2024年11月19日 12時0分
第1次試作機納入までの期間は1年とされ、NECの方式設計者はわずか7人という体制で開発をスタート。ここでも、NECが持つ高い技術力と、「やり切る」という技術者の意地が発揮され、1954年11月に第1次研究試作機が完成。通研実験局に納入された。また、第2次研究試作機を開発したのに続き、1956年9月には、国産初の局用クロスバ交換機を栃木県三和局に納入。1957年には、クロスバ交換機の本格的な事業化に踏み切ることになった。1960年には、日本で初めての商用電子交換機を完成させ、三越に納入している。
このころ、米ベル研究所は、日本の数10倍もの予算と、NECの5倍の研究員を投入し、クロスバ交換機の開発に取り組んだものの、完成させることはできずにプロジェクトは失敗に終わっている。この点でも、NECの技術力は世界的に評価され、海外からの需要に対応するために、輸出用クロスバ交換機の開発もスタート。輸出事業でも多大な成果をあげることになった。クロスバ交換機は、それ以降、長期にわたってNECの成長を支える重要な製品となった。
ケネディ暗殺を伝えた日米間初のテレビ中継
一方、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって禁止されていたマイクロ波通信の研究が緩和されると、NECもこの分野に乗り出していった。
NECは、戦前から導波管や発振管などのマイクロ波管の研究を進めていたが、戦争中はレーダーの研究開発に切り替えていたため、マイクロ波の研究は先進国に比べて遅れていた。また、戦後の経営が苦しい時期であり、研究費が乏しく、技術者は極めて少人数で、悪戦苦闘の連続を強いられながらの研究が余儀なくされた。
1952年には、第1次試作機が完成し、それを電電公社総裁が視察することになった。だが、直前に試作機の調子が悪くなり、テレビの画像が白黒反転して伝送され、関係者一同が冷汗をかくという一幕もあったという。
数々の苦労の繰り返しが実り、1953年には、マイクロ波中継回線を実現するマイクロ波pTM多重通信装置を日本で初めて完成させ、東北電力に納入。1954年には、東京-大阪間において、世界初となる進行波管方式による実用超多重電話回線を開通。テレビ中継用も考慮し、伝送容量は360通話路の規模を実現した。従来の多重無線機と言えば、VHFで6~12通話路、pTM式マイクロ波方式でも23通話路であり、3桁の通話路を実現したのは、当時としては画期的な技術であった。
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