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富山の「段ボールの製造会社」の社員たちを変えたのは掃除だった – 指示待ち社員が変わった経緯を社長が明かす

マイナビニュース / 2024年11月25日 9時18分

画像提供:マイナビニュース

"しょせん段ボール"と、社長の指示待ち社員ばかりだった社内

富山県富山市に本社を置くサクラパックスは、昭和22年創業の段ボール製造会社です。

ワンマン社長だった父の後を継いだ私は、指示待ち社員が多かった社内の大改革に着手し、社員が"人として"成長できる機会を提供しました。それが会社の発展につながり、北陸でダンボール、パッケージ製造と言えば"サンクラパックス"と言われるまでに成長することができました。

そんな私が父の後を継いでサクラパックスの3代目社長に就任したのは平成20(2008)年、会社に入社して12年がたったころでした。

とはいえ、すぐに社長らしいことをしたわけではありません。父に勧められ、社長として顔を売っておくという意味もあり、最初の4年間はサクラパックスの社長の肩書で日本青年会議所の活動にもっぱら従事していました。会社のことは、会長となった父がそのまま見ていました。

先代社長であった父は、30年以上にわたりワンマン社長として君臨してきました。そのため、当時のサクラパックスは社員だけでなく役員までもがその顔色をうかがい、社長の指示を待つだけの体制でした。

営業の現場では、顧客への新たな提案などすることもなく、自分たちが売りたいものを売り込み、顧客から頼まれた段ボールを売るだけ。

製造現場でも、営業から回ってきた注文どおりに段ボールを作るだけ。営業と製造現場が一緒になって、品質改善や新製品の開発のことなどを議論することはありませんでした。
そうなってしまうのも仕方ありません。なぜなら段ボールの製造技術は成熟しきっており、改良の余地はほとんどありません。

また輸送用の梱包資材なので高い品質は不要で、求められるのは早い納期と低い価格だけです。"しょせん段ボール"と、社員たちが仕事にやりがいや誇りが見いだせないのも無理はありませんでした。

そのため、社内に自分から段ボールの生産技術や新たな可能性を探るために何かを勉強しようという意欲を持つものはいませんでした。

そして、日本青年会議所の副会頭を退いてサクラパックスの社長職に専念するようになったとき、このままでは会社の先行きはないと、私は危機感を覚えました。

そこで私が考えたのが、社員自身が人として成長していくために、会社が支援をしていくことでした。

会社が社員の"考える力"を身につける場所になることで、社員の人生が豊かになると考えたのです。そしてそれにより、会社自身も成長、発展していくと確信していました。
社員の基礎力を高めていくために「環境整備活動」を開始

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