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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第6回 栄光のはじまり、NECのコンピュータ開発史

マイナビニュース / 2024年11月26日 12時0分

1960年に小林宏治氏は、提携相手を見極めるために、欧米のコンピュータメーカーを相次ぎ訪問し、そのときに「ソフトウェア」という言葉を初めて聞いたという。

ソフトウェアやアプリケーションを重視する姿勢は、現在のNECにも通じるところがある。2024年5月に発表した新たな価値創造モデルである「BluStellar(ブルーステラ)」や、今後、事業を拡大することになるAIにおいても、その基本姿勢は同じだといえる。NECは、ハードウェアメーカーという認識が強いだろうが、ソフトウェアを重視する姿勢は、コンピュータ事業の草創期から変わらない姿勢といえる。
IBMに挑め! 国産コンピューターの勃興

1974年3月に、日電東芝情報システム(NTIS)が設立された。

米国政府による貿易自由化の圧力が高まり、コンピュータについても、1971年4月に資本および輸入の自由化が決定。戦略産業としてコンピュータを保護しようと考えていた通商産業省(経済産業省)は、国産コンピュータメーカーを3つのグループに再編する旗振り役を担い、NECと東芝のほか、富士通と日立製作所、三菱電機と沖電気工業が、それぞれに連携して、次世代コンピュータの開発に取り組むことになった。

最大のテーマは、世界のメインフレーム市場を席巻していたIBMへの対抗である。IBMは、1964年に発表したシステム360に続き、後継機種となるシステム370を1970年に発表。まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

日電東芝システムズの資本金は10億円。内訳は、NECが60%、東芝が40%を出資し、NECと東芝のコンピュータ製品の開発計画の調整や営業活動の支援を役割とした。

3つの陣営は、それぞれに開発方針を定め、富士通と日立はIBMの互換路線を採用したが、NECと東芝は、IBMを追随する方法を取らずに独自路線を追求。時代を先取りしたファームウェア化や分散処理技術などを採用した。NTISは、1974年5月に、ACOSシリーズ77として、3機種を発売し、NECではNEAC、東芝ではTOSBACの名称でこの製品を販売した。1976年に発売した後継機では、マルチプロセッサ構成を実現。高い性能は市場からも高く評価されたという。

NECによると、1979年3月末までのACOSシリーズの累計受注台数は、小型機が976台、中型機が382台、大形機が234台、超大形機が39台の合計1631台に達し、1978年6月末時点で、国産コンピュータメーカーのなかでは40%超のシェアを獲得したという。

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