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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第6回 栄光のはじまり、NECのコンピュータ開発史

マイナビニュース / 2024年11月26日 12時0分

3つの国産コンピュータ陣営それぞれの健闘もあり、1975年から始まった貿易自由化後においても、政府が杞憂したような国産コンピュータメーカーのシェアへの影響は少なかった。
そして飛躍したNECのコンピュータ事業

だが、NECのコンピュータ事業には、その後も大きな波が押し寄せた。

1978年2月に、東芝が大型コンピュータからの撤退を発表したため、NECでは、NTISで担当していた中型機用OSであるACOS-4の開発に加えて、大型機用のACOS-6の開発を並行して行わなくてはならなくなった。そこで、NECは、2つのOSの共通化を可能な限り実現することで、この難局を乗り切ることにした。

また、1977年の初めごろから、IBMが著しく価格性能比を向上させた中小型機の新製品を開発中であり、1978年秋以降に発売する予定であるとの話が伝わったことで、NECは1年半という短い期間ではあったものの、これを「中小型機分野で、市場優位性を確立する絶好の機会」と捉え、対抗機種の開発を決定。営業部門を含む横断的なタスクフォースを組織し、企画段階から情報共有を積極化するとともに、ハードウェアの開発とソフトウェアの開発を並行して行う手法を採用し、集中的で、効率的な開発を推進することにしたのだ。

この結果、IBMが発表したIBM 4300シリーズのわずか1週間後の1978年2月に、対抗機種となるACOSシステム250を発表。3~4割高い性能と、十分対抗できる価格設定としたことで、発売後に注文が殺到。1981年6月には、小型機としては、初めて1000台の販売台数を突破し、4年間で約2000台の販売実績に達するという大きな実績を残した。

ACOSシステム250の成功は、NECのコンピュータ事業の基盤を強固なものとし、同時に、NECのIBM非互換路線の成功を裏づけるものとなった。IBM互換路線では、IBMの製品投入を待ってからの開発となるが、非互換路線であるからこそ、素早い製品投入と、独自仕様による高い性能の実現につながったといえる。また、販売先の57%が新規ユーザーであり、他社からのリプレースが数多くみられた点でも、NECのコンピュータ事業を飛躍されるきっかけをつくったともいえる。

また、超大型コンピュータの開発も強化し、1981年には、15MIPSの性能をもつACOSシステム1000を開発して、第1号機を東北大学に納入。1985年には、上位機種のACOSシステム1500を、1986年にはACOSシステム2000をそれぞれ発売し、いずれも世界最大、世界最高速の汎用コンピュータとして話題を集めた。

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