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“オールドメディア”が信頼を取り戻すために――名張毒ぶどう酒事件に取り組み続けてきた阿武野Pが語る「背骨」の必要性

マイナビニュース / 2025年1月2日 7時0分

そして、2005年に再審の開始決定が出る。この時、ドキュメンタリーの責任者になっていた阿武野氏が、門脇氏に「今度は途中で投げ出したりせず、最後までやります」と協力を求め、齊藤潤一氏(現・関西大学教授)が2代目ディレクターとなって、06年3月19日に『重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~』を放送した。

以降、継続的に取材を続け、14年に鎌田氏が3代目のディレクターとなり、現在に至る。阿武野氏は「2005年から、齊藤潤一と鎌田麗香という2人のディレクターが視点を変えながら多角的に取材を展開したので、それらの成果を盛り込んだことで今回の作品の膨らみになっていると思います」と解説する。

○事件を追い続けることで足腰が強くなった

映画にも映し出されている当時の映像は、事件現場にカメラが入り、布団がかけられた犠牲者の姿などが衝撃的だ。「東海テレビが開局してまだ3年しか経っていないので、カメラマンは映画界の出身者でしっかりしていたが、記者は新聞記者の見よう見まねだったそうです。テレビの報道はこうあるべきというのがまだ曖昧な頃の映像なんです」という。

フィルムで撮影していたため、上書きされることなく残っていた当時の映像には、裁判官の現場検証や法廷の様子なども残されており、これが引き継がれてきたことは、「組織メディアの強みだと思います」と強調する阿武野氏。改めて、組織的に継続することの重要性を感じたという。

「この事件を追い続けることで、スタッフの足腰が強くなったと思います。ニュースは瞬発力が必要ですが、瞬発力を支えるのは取材経験です。奥西さんが獄中で亡くなった時に、私たちはとてもショックを受けました。当時、特番を作ったんですが、樹木希林さん(※映画『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』に出演)が“奥西さんの死は無駄ではなかった。長く生きたことによって、若い弁護士たちを育てた”とコメントをくれました。それと同じように私たちスタッフもこの事件に鍛えられたんだと思いました」

冒頭で、阿武野氏は名張毒ぶどう酒事件の仕事を「背骨」と表現していたが、「この事件を追いかけることで、裁判所の中にカメラを入れた『裁判長のお弁当』や、検察庁の内部を写し撮った『検事のふろしき』というこれまでに例のない“司法シリーズ”のドキュメンタリーが生まれていったんです。やはり、しっかりした“背骨”がないと派生していかないので、そういう意味で、私たちのドキュメンタリーの母として、名張毒ぶどう酒事件が支えてくれたという感じがします」と再確認。

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