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“オールドメディア”が信頼を取り戻すために――名張毒ぶどう酒事件に取り組み続けてきた阿武野Pが語る「背骨」の必要性

マイナビニュース / 2025年1月2日 7時0分

さらに、「一審の時は、裁判官が事件現場に足を運んで検証もしているのですが、今の裁判官は忙しすぎるのか、現場検証をすることがほとんどありません。その点からも、裁判官のあり様というものを、もう一度考え直してみる必要があります。正しい判決を下してもらう裁判官の労働環境を、社会全体で担保していかなければならないと思います」と力説した。

○戦後80年にメディアがどういうメッセージを出せるか

東海テレビを退職する2年前に、名古屋から岐阜県東白川村に移住した阿武野氏。「夏は、毎日4時間くらい草刈りをしていました。汗だくですが、ゆっくり時間が流れているような気がします。村の人が訪ねてきてくれていろいろ話して、あくせくしていないのがいいですね。ドキュメンタリーで出会った大病院の院長が村の医療にアドバイザーとして手を貸してくれたり、自分が持っている人のつながりも村に使ってもらえればと思っています」と、充実の村人生活を送っているようだ。

東白川村は、戦後50年の年に、村の古老が各戸を回り戦争遺品を集めて平和祈念館を開館させていくその課程を追いながら、村と戦争の関わりを描いたドキュメンタリー『村と戦争』(95年)の舞台だ。阿武野氏は最近、自身が手がけたこの作品の上映会を、戦後80年に向けて村で3回開いた。200人を超える村人が参加したが、「“30年前と今で、どちらが戦争に近いと感じますか?”と尋ねたら、全員が今のほうが戦争が近いと答えたんです。それはウクライナやガザの問題だけじゃなくて、日本が戦争に傾いていくという危機感だったんです」ショックを隠せなかったという。

それを踏まえ、「2025年は戦後80年なので、ここでメディアがどういうメッセージを出せるか。それも、信頼につながってくると思います」と気を引き締める阿武野氏。自身も「何かできたらと思って、ローカル局でずっと作り続けているスタッフと何かしたいと準備しています。コツコツ作り、メッセージをし続けてきた地方の制作者の底力も知ってほしい」と明かした。

翻って古巣への思いを聞くと、「現場は一生懸命にやっていると思いますが、今いるスタッフたちが気持ちよく作れる環境を、組織がどう守れるかでしょうね。制作者に対するリスペクトに欠けると、素晴らしい表現は影を潜めますから。新規事業もいいですけど、テレビ局にとって一番大事なのは番組だという原点に戻って、たゆまぬ努力で道を切り開いてほしいと思います」と期待を示した。

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