変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第8回 中興の祖、小林宏治の「C&C」宣言
マイナビニュース / 2025年1月7日 12時0分
ZD運動は、小林氏が社長就任直前の1964年夏に、米ヒューズエアクラフトを訪れたときに知った取り組みだという。NECでもこの活動を導入したいと考え、社長就任とともに採用。その後、日本能率協会が、NECが取り組んだZD運動を産業界全体に普及させ、全国的に広がっていった。
一方、小林氏は、工場の建設計画において、地方分散立地構想を打ち出し、「地方日電」と呼ばれる展開も加速していった。地方への展開は、工場用地と要員の確保にメリットがあることに加えて、NECが取り扱う製品の多くが小型、軽量であるため、地方からの輸送上の問題に対処できること、NECの社業である電気通信は、距離の隔絶を克服する最大の手段であり、自ら行動によってそれを証明する役割も果たしたいと考えたことも計画立案の背景となった。
地方日電は、NECが100%出資することを原則とし、地域特性や立地条件に応じて展開。社員規模が1500人程度のA型工場、1000人規模のB型工場、500人規模のC型工場に分類し、社名には日本電気を冠するとともに、A型工場には地域名を、B型、C型工場には県名をつけることにした。
1969年には、地方日電の第一号として、鹿児島県出水市に鹿児島日本電気を設立。本社から最も遠方の地を選択したのは、ここで成功を収めれば、後続の工場もうまくいくだろうという理由からだった。NECでは、1965年からの約10年間で、11社の地方日電を設立した。
小林氏の社長在任中に、NECは、通信、コンピュータ、半導体を事業の三本柱に位置づけた。そして、それぞれの事業を業界トップクラスのポジションにまで育て上げた手腕は大きく評価されている。また、1976年には社長の座を譲り、会長に就任。社長とともに役割を分担して経営にあたるという新たな布陣を整えた。1988年には名誉会長に就いている。
NECが迎えた第2の創業、「C&C」の誕生
小林氏が会長に就任した翌年となる1977年10月10日から15日まで、米アトランタで開催された米国初の大規模総合通信展「インテルコム’77」は、NECの歴史にとって、重要な節目となった。
開催初日の10月10日。世界中の政府関係者、電話会社、そして主要通信機メーカーが参加するなか、「Shaping a Communications Industry to Meet Ever-Changing Needs of Society(変化する社会ニーズへの通信企業の対応)」と題し、基調講演を行った小林氏は、新たなコンセプトとして、「C&C(The Integration of Computers & Communications)」を提唱してみせた。
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