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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第8回 中興の祖、小林宏治の「C&C」宣言

マイナビニュース / 2025年1月7日 12時0分

NECもデジタル電子交換機の開発を急ぎ、1977年夏までに製品化に目途をつけた。また、同時期にNECのコンピュータ部門では、コンピュータと各種端末機器を通信回線で結び、情報を分散処理するシステムアーキテクチャの開発を進め、その成果として、1976年には「DINA(Distributed Information processing Network Architecture)」を発表している。

「インテルコム’77」の講演依頼が小林氏に届いたのは、1977年春のことだった。業界全体の大きな動きが始まり、NECの取り組みが進展するなかで、C&C構想の輪郭が少しずつ見え始めた小林氏は、この講演がNECにとって、新機軸を打ち出すには絶好の場になると考えた。

ノーザンテレコムのデジタル交換機の発表後、NECのクロスバ交換機は北米市場では売れなくなり、もう一方のコンピュータ分野においても、NECは苦戦を強いられている状況にあった。そうした局面を打開するためにも、かねてより温めていた「コンピュータと通信の融合」という構想をアピールする必要に迫られていたという事情も見逃せなかっただろう。

NECは、「インテルコム’77」での基調講演当日には、同社初のデジタル電子交換機「NEAX61」を米ニューヨークで発表。また、インテルコムの会場では、展示機器と日本の中央研究所のACOSシステム700を衛星通信回線で結び、C&C構想を具現化する大規模なデモンストレーションを行ない、これらの出来事も大きな話題を集めた。

C&C構想の発表は、NECが新たな時代をリードしていくという宣言でもあり、それにあわせて技術や製品を発表するという戦略的要素を持ったものでもあったのだ。

コンピュータ、半導体、通信が融合する「C&C元年」へ

「インテルコム’77」の講演で打ち出されたC&Cであったが、その概念を、どのように体系化し、展開していくかは、そこからの課題だった。

C&C宣言から2カ月後の1977年12月、小林氏は、10数人の役員や事業部長級の幹部を招集し、C&Cに関する問題提起を行なった。

小林氏は、「コンピュータ分野では情報の分散処理という概念が生まれ、そこには通信ネットワークが介在してくる。一方で、通信の側ではコンピュータと同質のデジタル化が進み、両者は結合しやすくなる。両者の間に生まれてくるインタフェースが、どのようなものかはまだ不明だが、そこに新しい技術のシーズがあるはずだ。意見を出し合い、C&Cの方向づけをしたい」と語り、この会合を「C&Cオリエンテーション会議」と命名。その活動は、1978年6月に設置した「C&C委員会」に引き継がれた。同委員会の委員長には、のちに社長を務める関本忠弘氏が就任した。また、1980年には、C&C冠した初の組織としてC&Cシステム本部を設置し、コンピュータと通信の融合に向けて、事業部門を横断したマーケティング活動を展開することになった。

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