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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第8回 中興の祖、小林宏治の「C&C」宣言

マイナビニュース / 2025年1月7日 12時0分

小林氏が、日本において、初めてC&Cの概念を明確に説明したのは、1978年5月に、東京で開催された日本電子工業振興協会の創立20周年記念大会の基調講演だった。そこでは、「C&Cチャート」と呼ばれる図を初めて公開した。

「C&Cチャート」は、コンピュータ、半導体、通信の3本の線が描かれ、それぞれがシステム化とデジタル化の度合いを高めていき、やがてC&Cとして融合するというイメージを図式化している。インターネットやPC、スマートフォンを日常的に利用するいまの時代は、まさにC&Cチャートで描かれた世界そのものである。インターネットや携帯電話の姿もなく、PCもようやく海外で登場し始めたという時代に打ち出された画期的なビジョンだったといえる。

NECは、1979年に創立80周年を迎えた。

これにあわせて、この年を「C&C元年」と位置づけ、より多くの人にC&Cを知ってもらうための活動を開始した。

なかでも、1979年の元日に、朝日新聞に掲載した別刷り全15段4ページの大型広告は大きな反響を呼んだ。

「C&C元年」を謳い、「コンピュータ・コミュニケーション社会はよき友人社会」というメッセージを打ち出した広告では、一般の人たちに対してもC&Cの恩恵が広がることを示してみせた。さらに、この広告が注目を集めたのは、扉となる1ページ目に、鉄腕アトムをはじめとする手塚治虫氏の代表作品の人気キャラクターが集結。コンピュータ技術と通信技術が融合することで実現する未来の姿を描いていた点だ。

NECでは、この広告をきっかけに、C&Cに関するプロモーション活動を積極化。同年7月には、「地球をぐるっとコミュニケーション」と題して、全国32紙に全15段2ページ、あるいは全15段1ページの広告を掲載。さらに、主要雑誌7誌にも2ページの広告を掲載するなど、これまでにない訴求活動を行った。こうした活動は、それまで比較的地味な存在だったNECの知名度を高めるきっかけになった。

また、C&Cの浸透とともに、海外においても、NECの名前が知れ渡るようになり、1983年には、英文社名を、Nippon Electric Co., Ltd.から、NEC Corporationに変更した。

また、NECは、C&Cを社会貢献分野にも展開。1985年にはC&C振興財団を設置し、C&C分野における功労者の顕彰と、研究活動に対する助成を通して、世界中のC&C関連技術の進歩に貢献することを目指した。

NECを「世界のNEC」へと飛躍させた画期的なコンセプトが「C&C」である。

そして、NECは、C&C宣言のタイミングを、「第2の創業」と位置づけている。

1899年の創業によって、通信技術で近代日本の発展に貢献したNECは、1977年からの第2の創業において、ICTの力で高度な情報社会を追求する企業へと転換。ICT企業の先駆けともいえる存在になった。これは、NECが通信機器とコンピュータをつくる企業から、日本の情報通信産業をリードする担い手へと大きな変身を遂げたことを意味するものでもあった。

1977年10月10日に行われた小林氏の30分間の基調講演は、NECの「第2の創業」を宣言する30分間であったともいえる。
(大河原克行)



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