1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

パナマ文書、中国の現状を解剖する

ニューズウィーク日本版 / 2016年4月7日 20時0分

 それらはくすぶったまま、李小琳はまだ泳がされている状況だった。彼女に調査の手が伸びるのは時間の問題だと筆者は何度も書いてきたが、李鵬がまだ健在で、激しい睨みを利かしているため遠慮が働いていた。こんなに一度に暴露されてしまうと、もう李小琳だけの問題ではなくなるので、手の施しようがなくなったのではないだろうか。早めに手を打つべきだっただろう。

習近平の姉・齋橋橋とその夫

 パナマ文書に関する多くの報道の中に書いてある習近平の親族とは、習近平の姉・齋橋橋の夫、トウ家貴のことである。

 しかし齋橋橋が雲南の商人だったトウ家貴と知り合ったのは1990年のころで、結婚したのは1996年。そのころ夫のトウ家貴は香港で金儲けをしてリッチになっていた。習近平とは全く無関係な場所と時間で富裕になっていたのである。このころの習近平はまだ福建省の福州市でウロウロしていて、まったくの無名だ。

 齋橋橋が持っている不動産などの財産は、すべて夫のトウ家貴からプレゼントされたものだ。それも1991年とか90年代初期のことで、おそらくなかなかトウ家貴に振り向かない齋橋橋の心をつかもうと、貢いだものと推測される。こうしてようやく96年に結婚するが、それでも齋橋橋が商売を始めるのは2003年で、習近平はまだ浙江省の書記に着任したばかりだ。

 齋橋橋は2002年までは父親の習仲勲の面倒を見ており、2002年5月に他界したので、商売を始めたという形である。

 習近平が2007年にチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員9人)に選ばれると、習近平は突如、姉に「商売から手を引いてくれ」と頼む。この頃までに姉夫婦の商売は大きく広がり、二人で10社以上の会社を持っていた。その中の一つだけを残して、齋橋橋は商売から手を引く。

 このとき習近平はチャイナ・ナインの党内序列ナンバー6で、李克強はナンバー7。5年後の2012年の第18回党大会では、習近平が中共中央総書記に(2013年には国家主席に)上り詰めるであろうことは既に予測されていたからだ。

 ただ、文革時代、父親の習仲勲が投獄されていた間、姉が献身的に一家の面倒を見て苦労していたのを知っているので、習近平は、少しくらいは姉に楽をさせてやろうと思っていたという。だから全ての会社を手放してくれとは言わずに、1社だけ残して、と譲歩したと言われている。

 ここまでの事実は、筆者は以前から何度もさまざまな出版物の中で書いてきた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください