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いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く2(イースターのハイチ)

ニューズウィーク日本版 / 2016年5月31日 15時0分

(上は谷口さんにあとで書いてもらった図)

 ということで、今回取材申し込みを受け入れてくれたのはOCAだと俺は車内で初めて知ったわけなのだけれど、ではハイチのプログラムをすべてOCAが担当しているかというとこれが違う。パリもブリュッセルも他のOCも人員を送っているし、コーディネーション・オフィス(運営本部と言ったところか)を立てている(いた)のだそうで、つまり複数のプログラムがそれぞれ動いており、各OCの下で働く日本人同士であってもまったく会わずに活動を終えて帰国することなどザラだという。

 それぞれのOCはいざとなれば助け合う。とはいえ、基本的に独立して活動する。これは緊急プログラムの際、都合よくシステムが働くためでもあろう。どこかの活動が滞っても、別のOCが救援を続け、ある時には物資を調達するなど運営を統合したり分離したり出来るだろうからだ。自由独立集団であればこその組織論が具現化されているのである。

 ちなみに、各々のOCによって活動の仕方に特徴があるらしいこと(文化的遺伝子とでもいうようなもの)を俺は数日の滞在で知ることになるが、その説明はまたの機会に譲ろう。ドライバーが無線で再び俺たちの名前を言い、坂道の途中の邸宅の鉄扉が開いて、中に詰めている現地スタッフが見えてきたから。



ポール登場

 ドライバーは左にハンドルを切り、四駆はなおいっそう大きく揺れて邸内のさらに急な石畳の坂をのぼった。奥の平たい土地に、やはりMSFの文字を胴に赤く塗った四駆が数台止まっていた。その向こうに二階建ての屋敷があった。OCAのハイチ・コーディネーション・オフィスだった。


 拍子抜けするほど静かだった。『国境なき医師団』のひとつの拠点はもっと騒がしいものではないのか。俺は狐につままれたような気分で自分の荷物をおろし、目の前の階段をあがって屋敷の中へ入った。

 何部屋かあるのがわかった。扉はどこも開け放たれていた。部屋はすべて薄暗かった。無駄遣いするほどの電気もないし、そもそも生活空間をぴかぴか明るくする習慣がハイチにはないとのちのちわかった。スタッフたちにしてもクーラーなど使うつもりははなからないのだった。気持ちのいい乾季であればなおさらのことだ。

 大きな白板が壁に貼ってあって、青いマジックインキでひと月分のマス目が書かれており、その日の枠の中に俺と谷口さんの名前がそっけなく書いてあった。しかし誰が来てくれるわけでもない。

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