いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く3 (ポール校長の授業)
ニューズウィーク日本版 / 2016年6月7日 15時30分
そしてポール校長の授業が始まる
我らのポール校長もまた、この「独立」をめぐる年号を、出来の悪い生徒である俺を指さしながらゆっくり発音した。
「1804年だよ」
「......1804年」
俺はオウム返しに答えた。こういう時は素直が一番だ。
校長はそれからのち、部屋の壁に貼られた地図や、空を指さしながら、俺に長い授業をしてくれたのである。なんのメモもなしに。
今から200年以上前、宗主国フランスが革命のまっただ中である頃、遠く離れた中米ハイチでは、アフリカから数百年間連れて来られ続け、労働させられ続けていた黒人奴隷たちが大量に脱走し、蜂起した。
それがハイチ独立宣言からさかのぼること13年前。すなわち1791年のことなのであった。
自らは革命を目指していながら、フランスはハイチの黒人革命を認めようとしなかった(優れた幾つかの議論は国内であったものの)。がしかし、そのフランスを囲むイギリス、スペインなどがすかさず反革命戦争を起し、外地ではフランスの植民地を奪おうとする。
皮肉なことにフランスがとったのは、黒人奴隷に武器を与えて戦わせるという策であった。そのため、1793年、奴隷解放宣言が出され、翌1794年には本国議会においても奴隷制廃止が決議されることとなり、70万人の奴隷が一気に解放されるのだ。
この事実だけでも実に驚くべきことだ。世界のほとんどの人間が知らされていない。18世紀にすでに、黒人が自らの手で革命に成功していたなんて。
そして俺はここに小声で、もうひとつ重要な事実を書き記しておきたい。黒人奴隷解放直後の1795年、今のドイツでエマニュエル・カントが『永遠平和のために』を発表しているのである。のちの国連の礎となり、日本国憲法九条の奥にも流れていると言われる思想は、ハイチの奴隷解放宣言に影響を受けている可能性がある。
少なくともカントが永遠平和の構想を練っている時、ヨーロッパはフランス革命のみならず、ハイチ革命に揺れていたのだ。
さて、時間を越えたこの原稿上の脱線を知らないポール校長は、当時の俺の目の前を右に左に歩きながら、まだまだ君が驚くべきこと(「remarkable」という単語を彼は何度もゆっくりと強調して使った)があるんだ、と指を柔らかく立てて言った。
なぜならその後、フランスにはナポレオンが登場するからだよ、セイコー、わかるね。
「はい」
彼らは1801年、遠征軍をハイチに送り、奴隷制復活を狙う。そしてハイチ側の指導者トゥサン・ルヴェルチュール(ちなみに、この英雄は憲法作りを主導し、なんと「人に隷属することは永久に廃止される」と、世界中の人権宣言の先駆けのような条項を公布する!)をだまし討ちにし、フランスにおびき寄せて監獄に入れて殺してしまう。まったくひどい仕打ちだ。
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