いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く3 (ポール校長の授業)
ニューズウィーク日本版 / 2016年6月7日 15時30分
俺は自分の部屋から締め出された。
カギをいくら再び錠の中で回してもびくともしない。
そのままだとどう困るかを、薄暗い屋敷の中で考えた。まずメモ帳がない。数日となると着替えもなく、帰国時のパスポートも飛行機のウェブ予約を印刷した紙も中だった。次第に俺は、自分が窮していくだろうことがわかった。
広報の谷口さんはダイニングとホールをはさんで向こう側の部屋群で、たぶん仮眠を取っているはずだった。助けも呼べない。
がちゃがちゃやってはため息をついていると、隣の部屋からふわっとアフリカ人があらわれた。Tシャツにコットンパンツにサンダルという姿だったと思う。確か屋敷到着のあと一瞬だけ挨拶をした青年で、とても優しく握手をし、すぐに荷物を持とうとしてくれたり、眠くないかと話しかけたりしてくれた人だった。吃音があったが、しゃべるのをやめない明るさと勇敢さがあった。
名をオルモデと言った。
俺は彼の腰があまりに低いので、すっかり屋敷の管理人の一人だと思い込み、
「これ、なんとか直らないですかね?」
とちょっと苦情交じりの調子で言った。おかしなピッキングをしてしまったのは自分なのにだ。
オルモデは俺の手からそっとカギを受け取り、何度も錠の中に入れて試し、そのうち同情に満ちた顔つきで、
「下の階に行って、マスターキーを探してきます」
と申し訳なさそうに言った。
「お願いしますよ!」
と俺はその背中に呼びかけたものだ。おそらく俺が出かけたあと、彼はありとあらゆる方法を実行したのではないか。
結局、オルモデはドアを開けることが出来ず、カギは差したままで置かれていた。
そして、その夜の楽しい夕食を済ませての帰宅のあと、俺自身があの変な感触でもって錠を無理やりこじ開けてしまうのだが、そんなことよりその青年、オルモデ・ファニヤンがナイジェリア出身の優秀な疫学の医師で、MSFのミッションを終えてアメリカの研究室に移る時期だったことを、俺は数日後に知る。
他人の苦境にすぐさま反応して解決に尽力してしまう人間を、俺は"ドアも開けられない管理人"だと見くびっていたのだった。自分中心でない人を。
あの優しい青年を。
濃い一日の終わり
ああ、色々書くうち、日本人スタッフの菊地紘子さんと待ち合わせて出かけた、限られた安全な地域にあるレストランでの夕食時の話を紹介するスペースがなくなってしまった。
イースターならではの愛らしいサマーワンピースであらわれた若き看護師である彼女が小型犬を連れて来たように見えたけれど、その犬は隣の屋敷から勝手について来てしまったまったく知らない動物であること、彼女がすでに中央アフリカで二年ほどのミッションを終えていること、「ハイチは道路が舗装されていますから恵まれています!」とレストランでうれしそうに言ったこと、彼女もまたマリーンのように「MSFで働きたくて看護師になった」こと、より厳しい状況に置かれたアフリカの国々で医療をしたいがために学生時代にフランス語を習ったこと、などなどを記事にするのは大変有意義だと思うのだが、他の取材でのさらに興味深い彼女のエピソードがてんこ盛りにある。
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