【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味(後編)
ニューズウィーク日本版 / 2016年8月6日 6時7分
それに、私には佐々木雅弘や祐滋という友人がいる。彼らと一緒にいるとつい笑いそうになって、テレビカメラの前で真剣に見えるよう気を付ける必要さえあった。最高の瞬間だった。
いつか単なる観光客として日本に行きたい。これまでは観光する機会がなかったから、今度はちゃんと観光がしたい。2度目の訪日で最もよかったのは、私と息子、知人の長崎在住のアメリカ人の3人だけで過ごした夜。うどんを食べた後、息子と知人は買い物に出掛け、私は1人でホテルに歩いて戻った。ぶらぶらと、周りを見ながら。いつかまた、日本に行きたい。
* * *
インタビューを終えると、「また近々お会いしましょう」と言ってダニエルと別れた。玄関の外まで見送りに出てくれた彼と握手をし、日本式に互いに一礼をして笑顔で手を振り合った。
繰り返しになるが、ダニエルはトルーマン元大統領その人ではない。それを知っていながら心の内を問いただすような質問をぶつけたのは、それらの問いがすべて、私自身が祖父の過去をめぐって長年、自分に問い掛けてきた疑問だったからだ。
私の亡き祖父は戦時中、岩手県釜石市にある連合軍捕虜収容所の所長を務めていた。終戦後、祖父はアメリカ率いる連合軍に「戦争犯罪人」として裁かれ、収容所での管理責任などを問われてB級戦犯となった。
私は今から20年前の高校時代に祖父が書いた戦争体験記を読み、「教科書以上」の歴史に初めて触れた。まさに、ダニエルにとってサダコの本がそうであったように。
戦後30年が過ぎた頃、祖父は釜石の収容所にいたオランダ人の元捕虜と文通を始め、収容所での生活を振り返ったり家族の様子を伝え合うなど友好関係を築いていた。巣鴨プリズンを出所した後に記者になった祖父は、手記の中で自分は捕虜を守るためにできる限り尽力したと固く信じていた。孫である私も、7歳のときに他界した「優しいおじいちゃん」を敬愛していた。
その一方で私は、なぜ祖父が戦犯として裁かれたのかが知りたくなった。答えを求めて大学時代にアメリカに留学すると、それまで知らなかったアメリカ側の物語が目の前に広がった。
祖父の収容所にいた人を探してアメリカの元捕虜が集まる戦友会に参加すると、祖父を直接知らない人から「元捕虜収容所長の孫」という理由で冷たい視線を向けられ、中には怒りをぶつけてくる人もいた。国際政治の授業で原爆のキノコ雲の映像を見た際には、一部の学生から拍手喝采が上がった。
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