アイラブユー、神様──『国境なき医師団』を見に行く(ハイチ編11最終回)
ニューズウィーク日本版 / 2016年8月17日 17時30分
元あったろうレンガや石詰みは崩れ、掘っ建て小屋の合間にはゴミが溜まっていたりした。どこからどこへか紐が結ばれ、穴だらけの衣類が干してあった。
スラムだった。
いや、震災によってそうならざるを得なかった貧しい人たちの、他にどうしようもない暮らしの現場だった。
「セイコー、これがハイチです」
前の座席でリシャーがそう言った。
復興などままならない世界がそこにはあった。雨が降れば、一気にコレラが猖獗するであろう狭い土地だった。
「写真に撮っても大丈夫ですから」
リシャーは重ねて言った。それまでそうしたエリアに立ち入って撮影するのは無理だと話していた彼だけれど、車の中からならいいと言うのだ。彼だって、現在のハイチの苦難を発信したいはずなのだった。今がチャンスだとリシャーはけしかけた。
ただ俺には自分が子供の頃、東京の下町でもこれを見たという思い出があった。川の上に水上住宅があった時代の記憶だった。だから正直、貧しさをカメラにおさめる気にならなかった。
近い貧しさを知っている俺は、その画像で他人の同情心を喚起したくはなかった。ではどうすればそこに住む人たちの役に立てるかと俺は考え、最終的にスマホのボタンを何回か、リシャーのために押すことにした。
彼が希望を持ってくれるように。
必ず俺がレポートに書くと約束をするために。
特に最後の一枚を機械的に撮ったことを、自分ははっきりと覚えている。
俺たちへのメッセージ
翌日、マイアミへ飛ぶ機内で滞在中撮りためた画像を見、最後の一枚をじっと眺めるうちに気づいた。
乗っていた四駆の窓越しに、バラックの壁が写っていた。
その壁の中、間に合わせの木で作った扉にひとつの落書きがあった。
俺は思わず声を出しそうになった。
拡大してみると、そこには確かにこうあった。
I LOVE YOU Jesus
あれほどの苦境の中で、と思った。
そして、書かれた言葉が英語であることに気づき、俺はさらなる衝撃を受けた。
フランス語でもクレオール語でもない以上、それは"外側"の俺たちに向けてのメッセージなのだった。
我々は神を愛している。
憐れむなよ、と言われているように思った。
憐れまれるべきはお前たちだ、と言われているようにさえ思った。
ハイチの民がどんなにプライド高い人々であるか、スラムの扉のそのたったひとことが傷跡のように俺の目の奥にはっきりと残った。
ハイチ編終了(次週はまた世界の別な場所からお送りします)
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