1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

世界の困難と闘う人々の晩餐─ギリシャの「国境なき医師団」にて

ニューズウィーク日本版 / 2016年10月14日 17時30分

 MSFギリシャ会長は給料のない地位であることを、俺は谷口さんから聞いた。それでも会議の度に、クリストス氏は現在の住居のあるロンドンからアテネに来ていた。

 残った男たちと彼が二次会へ繰り出す前に俺に伝えた言葉を、是非ここに再現したい。MSFギリシャの会議、その理事会を終えたばかりのクリストス・クリストウ氏はこう言った。

 「理事会でこそ、私のような会長や事務局長は夢を語らなくちゃいけません。誰もが現実的になってしまうから」

 この「夢」という言葉も、前々回の「尊厳」と同じく小馬鹿にされて嘲笑されていいものではない。特に本当に困難に直面し、日々悲惨な事実と向き合っている人々が口にするその言葉、その概念は。

 黙り込む俺に、さらに会長は言った。

 「議論は常に他者を尊敬しているから出来ることです。けれど私たちも西洋的に考えるとついマッチョになり、攻撃して議論に勝とうとしてしまう。そういう理事会の多くによって、我々は大切なものを失ってきました。これこそ反省すべき点です」

 いやはや、なんと深い言葉であったことか。それはギリシャが西洋と東洋のはざまにあるという長い時の向こうに埋もれた真実を、俺の目の前で掘り出してみせるようなものだった。

 すでにギリシャ側の女性は全員三々五々帰ってしまっていた。残ったMSFの男のうちの何人かは肩を並べてレストランを出た。

 俺はあとについてしばらく歩き、自分はこの国で起きていることから目をそむけられないと思った。遠い西洋で起きている無関係な事象ではなかった。それは人類の政治史の問題でもあり、戦争史のひと幕でもあり、哲学と行動の倫理を問う機会でもあり、何よりまず人間がどこまで人間的であり得るかの正念場でもあった。

 やがて彼らの次の店は見つかり、俺たちはエリアスにもダニエルにもビムにもクリストス氏にも固い握手をし、別れを告げた。

 俺としては、正念場の真ん前にいて屈することのない陽気な連中に後方からエールを送るような気持ちだった。

 そして街路樹のスズカケの木の下を宿舎の方へと歩き出しながら、彼らの存在のありようをわずかなりとも書き残さなければたまたま今自分が生きていることの意味がない、とやにわに理解したのだった。

そして帰り着く

(つづく)

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください