ミッションを遂行する者たち──マニラの「国境なき医師団」
ニューズウィーク日本版 / 2017年5月29日 18時30分
翌年にはナイジェリアに飛んでいた。
「このマニラで13ミッション目だね」
にっこり笑ってそう言うジョーダンは、几帳面な性格ゆえか、小さなメモ帳に小さな文字で全ミッションを書き出し、ボールペンの先でそれを数えた。
「うん、やっぱり13」
一番短いもので2か月、ナイジェリアでの緊急援助で500万の子供たちに髄膜炎のワクチンを打つという予防接種のロジスティック(運送や管理担当)をつとめ、一番長いのはもちろんここマニラでの2年だという。
さらに2010年には俺も訪ねたハイチに偶然ミッションで入っており、つまり大地震を体験してしまったのだそうだ。それは小さなアルマゲドンだった、とジョーダンは言う。
「周囲のビルもMSFの病院も崩れ落ちた。人材も医療品もMSFとして確保されているのに、残念ながら病院がないんだ。それでロジスティシャンとして場所を緊急に設計して、木の板でベッドを作ったし、シーツで天井を作った。ない物はがれきの中から拾ったよ。コンテナの中で手術もしてもらった」
そこまで言ってジョーダンはふうと息を吐き、俺を見た。
「7人のスタッフを亡くした。たくさんの患者を亡くした」
とジョーダンは表情を変えずに言った。
災害などの緊急援助にあたったスタッフは必ず休ませる、とは菊地寿加さんにも聞いた通りだ。地震後10日間働きづめに働いたジョーダンを、MSF活動責任者は母国に戻した。彼本人はまだまだやることがあると反発したが、
「今思えば正しい判断だったよ」
とジョーダンは俺たちにはっきり言った。なぜかを話さない彼だったが、その後もPTSDがあったに違いない。そのままミッションを続けていれば、彼は壊れかねなかったということだ。
それでも2年後、ジョーダン・ワイリーはハイチのミッションに戻る。彼の責任感はやり残したことをそのままにしておけなかった。そこに戻る仲間もいた。
シリアにも何度か入った。2013年には銃を持った者が病院内に侵入し、自分ともう一人のスタッフがスパイと間違われて殺されるか誘拐かどちらかだと感じる状況に陥ったこともあった。この時はまわりの村の人たちが救いに来て「この人は私たちに医療を提供してくれているのだ」と説得してくれたそう。その時、人道援助の空間が守られないという事態に直面してそれまでの活動では経験したことのない無力さを痛感したという。
マニラのひとつ前にはチャドにいた。奥さんのエリンも同行して共にチャドにいたそうだが、ボコハラムが跋扈する土地で終日MSFの敷地内にこもる毎日では、彼女の安全もストレスも心配きわまりなかった。だから今マニラにいるのは安心だ、とジョーダンは言った。
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