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ミッションを遂行する者たち──マニラの「国境なき医師団」

ニューズウィーク日本版 / 2017年5月29日 18時30分

「僕自身は今回の活動を去年の10月から始めて、歩みはひどく遅いながらもあきらめずに計画を前に進めている。MSFとしてもこれはチャレンジなんだ、セイコー。今までのように"絆創膏を貼る(事態の根本的な解決はその国にまかせ、緊急援助のみに集中する)"だけでなく、問題の内部に自ら入ること。しかも」

とジョーダンは姿勢の癖でかがめている身をさらに小さくして俺たちに近づいた。

「フィリピンは女性政治家も多いし、女性の力が強い。アメリカも日本も見習うべきだ。ただしリプロダクティブ・ヘルスが弱い。そこをどう援助していくか」

つまり彼はもちろんフィリピンの問題にどう関わるかを配慮しながら、同時にその国のよさを世界にどう輸出するかも考えているわけだった。世界の女性の権利を健康から考える。ジョーダンはその一助となりたいのだ。

そうした目標の中でこそリカーンは自国の女性問題に長く力を尽くしてきた団体として、MSFの導きの糸になる。



さらにジョーダンはこう言った。

「他にも援助団体はあるし、リカーンは決して有名ではない。そのへんの道で聞いても知らない人はたくさんいるだろう」

熱き男ジョーダンはそれ以上ないほど身を乗り出す。

「だけど、スラムで彼らを知らない者はいない。ここが重要なんだ。困窮した人々に絶対的な信頼がある」

彼の視点は明確で、事の奥まで見ていた。

「我々は彼らと共に進むんだよ」

さて、インタビューの最後に、谷口さんがこう聞いた。

「ジョーダンはどうしてMSFを選んだの?」

するとジョーダン・ワイリーは答えた。

「自分が何をしたいのか、ここにいるとそれがわかる」

抽象的に見えるが、人生にとってそれほど具体的に満足いくことがあろうか。事実、ジョーダンからは常にみなぎる何かが感じられる。

その人ジェームス・ムタリア

一方、かつてのジョーダン少年が人道援助に向かいたかったアフリカから、巨体ジェームス・ムタリアは来ているのだった。俺たちはいったん廊下へ出て、同じ階にある彼の部屋に行った。

インタビューを始めようとすると、ジェームスは恥ずかしそうに短髪の頭をなでる。しかし質問をすると落ち着いた小さな声で的確に話すのもジェームスの特徴だ。

彼はもともとケニアで国際企業にいたが、2005年MSFの国内医療スタッフになった。医師と看護師の中間で、日本にはない準医師という職種だそうだった。

なにしろ恥ずかしがり屋なので自分からはあまりつまびらかにしないが、彼は医療援助に強い興味を持ったのだろうと思う。頭脳明晰な彼ならば企業の中にいても成功したはずなのだ。実際、MSFから始まってUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、他のNGOのマネージャーを務め、2010年にMSFに戻っている。

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