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なぜ、日本は<異端>の大学教授を数多く生み出したのか

ニューズウィーク日本版 / 2019年6月27日 19時10分

また、評論家という職業も同様で、文芸評論家から社会評論家に至るまで種々雑多いるが、この仕事だけでは飯が食えないために大学教授になっている人が多い。

保守派の論客、並びに、文芸評論家の福田和也氏は慶應義塾大学の大学院文学研究科修士課程を修了しているが、あの著名な評論家である故江藤淳氏の鞄持ちというか、秘書役を務めてきたということで、江藤淳の後任者として、現在では、慶應義塾大学環境情報学部の一般教養担当の教授を務めている。もちろん、文芸評論家としての実績は十分に残しているが、学者としての評価となると別問題だ。

尾木ママこと、尾木直樹氏もマスコミに登場する時は教育評論家の名称で登場しているが、彼は早稲田大学教育学部卒業後、中学校・高校の教員を22年間勤め、教育評論家としてメディアに登場した後、なぜか、2004年に法政大学の新学部、キャリアデザイン学部教授となっている(現在は特任教授)。

出版業界の売れっ子、教育評論家の齋藤孝氏も明治大学文学部教授の肩書であるが(1994年に公募で採用され、明治大学文学部教職課程専任講師となる)、実際は教職課程専任の教員である。

彼は2001年に『声に出して読みたい日本語』(全5巻、草思社)が250万部のベストセラ-となり、マスメディアに登場することになった。これまで異常なほど数多くの著作を刊行しているが、教育学者・齋藤孝として評価されるべき学術的な著作・論文はほとんどない。

明治大学文学部の専任講師時代に、『宮沢賢治という身体』『教師=身体という技術』(いずれも世織書房、1997年)という学術的な著作を刊行しているが、それ以降は評論的な著作ばかりである。

ここまでくると、この人は一体、本当に大学教授なのか、評論家なのか、タレントなのか、訳がわからなくなってくる。

この点、テレビのコメンテーターとしてよく登場する評論家の宮崎哲弥氏は慶應義塾大学文学部卒業後、雑誌『宝島30』の執筆活動から始まり、政治・宗教・文化にわたる多彩な評論活動を重ねてきているということで、評価したかったのであるが、2006年に京都産業大学客員教授を引き受けたということで、この人も大学教授という肩書が欲しかったのかと思うと大変残念なことである。大学教授としての肩書がなくても、彼ならば評論家として十分に活躍できるはずである。

これまで見てきたように、作家や評論家で大学教授になっている人たちの大半は大学の学部卒業のみで大学で文学論等を教えているのである。小説を書くことと文学論を講じることは全く別の次元である。

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