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なぜ、日本は<異端>の大学教授を数多く生み出したのか

ニューズウィーク日本版 / 2019年6月27日 19時10分

他方、竹中氏は政界を退いた後、慶應義塾大学総合政策学部教授となり、同大学定年後、東洋大学国際地域学部教授、現在は同大学国際学部グローバル・イノベーション学科教授となっている(東洋大学は65歳が定年であるが、特別な場合に限り、教授としての任用が認められている)。

彼も小泉内閣時代(2001年4月~2006年9月)の大臣在職当時ほどではないが、メディアへの露出度は高い。

一般的には、中央省庁の官僚が大学教授へ転身するようになったのは大学設置基準緩和以降のことと思われているが、歴史を繙いてみるとそうではないことがわかる。

前述したように、明治時代、帝国大学(現在の東京大学)が設置された頃に、正統なアカデミック教授ではない、行政実務経験を積んだ官僚が社会人教授として登用されていたのである。

西欧の近代化に追いつくために、すぐれた行政官僚を養成するべく帝国大学を設置したが、外国人教師だけでは人数が足らず、帝国大学卒業生で官僚になった人材から大学教授を招聘したのであった。

とりわけ、東京帝国大学に経済学部が誕生した際には、河合栄治郎(農商務省)、大内兵衛(大蔵省)、矢内原忠雄(住友総本店)などが、また、法学部には、田中耕太郎(内務省)、南原繁(内務省)、高木八尺(大蔵省)などが社会人助教授として就任し、後に教授となっている。

この背景には大学教員の人材不足があるが、この時代にすでに、大学と行政・企業の世界との人事交流があったとみてもおかしくはないだろう(『大学という病』竹内洋、中央公論新社、2001年)。



こうした日本特有の大学教員人事が今なお残存しているのは、学問探求の場としての大学の役割が日本社会ではまだ認知されていないことを示しているといってもよいだろう。

米国でも、大学教授と連邦政府の高級官僚との密接な人事交流はある。ニクソン・フォード政権の元国務長官(1973-1977年)兼大統領補佐官(1969-1975年)のヘンリー・キッシンジャー氏(96歳)は、ハーバード大学大学院で博士号を取得し、国際問題の研究者として活躍していたし、コンドリーザ・ライス氏はジョージ・W.ブッシュ(ブッシュ・ジュニア)時代に国務長官(初めてのアフリカ系米国人女性の大臣、2005-2009年)兼大統領補佐官(2001-2005年)を務め、元スタンフォード大学教授である(現在も、スタンフォード大学教授)。

この2人に特徴的なのは博士学位をもち、学問的業績や活動が評価されて連邦政府の高級官僚として遇されており、国際関係問題の専門家として登用されたことであった。日本と米国のこの違いを読者の皆さんには理解していただきたい。

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