1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

不動産バブル崩壊で中国経済は「日本化」するか

ニューズウィーク日本版 / 2023年10月26日 15時17分

松久氏は1950年時点の市町村を基に、各年における各地域の状況に応じて都市的地域、平地農業地域、中間農業地域、山間農業地域に分類し、それぞれの人口を示した(松久、2015)。1970年には都市的地域の人口と非農家人口の比率(それぞれ72パーセント、74パーセント)があまり違わなかったが、その後両者のギャップが開いていった。それは、農村に住む非農家人口が増えたことを反映している。

図2から日本の人口の都市化は1970年代前半までかなり急ピッチに進み、1975年には都市的地域の人口比率が75パーセントに達したが、その後は増加ペースがかなり緩やかとなり、2020年時点でもようやく82パーセントになったことがわかる。日本の不動産業が1974年以降量的に伸び悩んだのはまさに都市化のペースが鈍ったからだといえよう。

一方、1970年代以降、日本国民の住宅事情は格段に改善した。図3では5年に1回ずつ行われる「住宅・土地統計調査」により専用住宅1戸あたりの延べ面積を示しているが、1973年の70平方メートルから2003年には92平方メートルへ増えている。ただし、この間に住宅の数は2倍近くに増えたので、日本の人口に対する住宅の広さはもっと大きく伸びた。住宅の総戸数に1住宅あたりの延べ面積を乗じることで日本の住宅の総面積を計算し、日本の総人口で割ったものを「1人あたり住宅面積」として示したが、1973年の20平方メートルから2003年には39平方メートルと、30年間で2倍近くに増えている。欧米と日本との間の貿易摩擦が激しかった1980年頃、「日本人はウサギ小屋のような狭い部屋に住んでいる」と揶揄されたものだが、その汚名は返上できそうである。

    

ただ、図3からは、1993年以降、住宅面積拡大の勢いが鈍ってきていることもわかる。1950年代から70年代前半までの都市化、そして1970年代前半から90年代までの住宅高度化という2つの波に乗って日本の不動産業は成長を続けてきたが、2つの波が終わった1990年代後半以降、不動産業は低成長に甘んじざるをえなくなった。

ちなみに、以上のような戦後日本の都市化と住宅高度化は、まさに私の両親と私の世代の歩みそのものである。私の両親は1937年に都市に生まれたが、太平洋戦争中に農村に疎開した。そして父は大学に入学するまで、母は結婚するまで農村に暮らした。1963年に結婚した両親は都市郊外の住宅の離れ(1K)を借りるところから始まって1985年までに5回引っ越し、その都度より広く、より条件のよい住宅に移った。つまり、私の両親は1950年代後半から60年代前半に都市化し、60年代から80年代にかけて5度も住宅高度化を行って、日本の不動産業を大いに盛り上げてきた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください