1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

日本がずっと放置してきた「宿題」...「文化」が変われば「防犯対策」も変わる

ニューズウィーク日本版 / 2024年1月12日 11時10分

「失われた30年」については、処方箋が様々な専門家から提案されている。しかし、小手先の対策では、どうにもならないところまで日本は来ている気がする。高度経済成長を支えた「画一性」のように、文化が主導するしかないのではないか。

その文化が「多様性」である。要するに、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の時代に出され、ずっと放置されてきた宿題に、再び取り組むことが求められているのだ。強大な文化の力に頼るということである。

もっとも、文化は諸刃の剣だ。

滋賀県立大学の脇田晴子教授が、講演で「歴史をやるようになってつくづく思いますのは、文化や思想が人心を左右でき、操作できるということであります。だから恐ろしいものだと思うわけです」と述べている。

確かに、「画一性」の文化に関して、和の精神、村八分、あうんの呼吸、KY(空気読めない)など、同調圧力を表す言葉は枚挙にいとまがない。

切腹を美化する武士道も未だに健在であるが、織田信長と面会したルイス・フロイスは、信長が「外見的な形式は民衆を操るためのもの」と言ったと伝えている。精神論や根性論が支配的な社会だからこそ、「形」の重要性が相対的に高まるのかもしれない。

筆者が小学生のとき、松方弘樹が歌う「同期の桜」が大ヒットした。その歌詞は特攻隊を賛美するものだ。終戦から20年以上経っているのに、皆が特攻隊を歌うというのも不思議だが、筆者が今でも、そらで歌えるのはもっと不思議だ。前出の脇田教授は、「自分の心に刷り込まれていって、自分でもそれがわからないというのは、やはりそれは文化のもう―つの効果だと思うわけです」と指摘しているが、筆者も「文化」に飲み込まれていたのかもしれない。

「気付いても言えない」が定着

「文化」は防犯対策も支配している。見ただけでは分からないにもかかわらず、「不審者に気をつけろ」と言ったり、子どもの連れ去り事件の8割が、だまされて自分からついていったにもかかわらず、「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」と言ったりしている。「それ、変だよ」と思いもしなければ、たとえ気が付いても周囲に言える雰囲気ではない。

「失われた30年」と根っこは同じだ。「もう、紙はやめましょう」「デジタルに切り替えましょう」と思いもしなければ、たとえ気が付いても周囲に言える雰囲気はない。

さて、話を「多様性」に戻そう。今後も、「多様性」推進の切り札になるのはディベートだ。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の時代と同じである。しかし、今回は、その方法を工夫しなければならない。なぜなら、その普及に一度失敗しているからだ。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください