1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

少子高齢化の「漆器の里」を襲った非情な災害――過酷すぎる輪島のリアルから見えるもの

ニューズウィーク日本版 / 2024年1月26日 15時30分

16日に石川県は七尾市の水道の復旧見通しを2カ月以上先と発表したが、奥能登の輪島市と珠洲市などについては復旧のめどすら示されなかった。清潔なトイレを使えないのは、衛生上の問題であるだけではなく、被災者から人としての尊厳を奪う。(1月26日時点追記: 1月21日、石川県は水道の復旧見通しについて輪島市や珠洲市などでは早くても2月末から、七尾市の中心部などでは4月以降になると発表した)

輪島市中心部では、裂けた道路からマンホールが管ごと飛び出てしまった KOSUKE OKAHARA FOR NEWSWEEK JAPAN

「母は避難所におったら確実に災害関連死でした」と言う二井は、生まれ育った輪島を離れ、金沢市内の1.5次避難所に移ることにした。蒔絵師だった祖父に始まり、父の代から約70年続く店も、今後の見通しは全く立たない。

「店を立て直すと言っても、20代とか30代であれば違いますけど、私ももう60ですから。この先もう何年できるか分かりませんし」と、二井は言う。

輪島塗は1人の人が全工程を仕上げるのではなく、各工程に専門の職人がいて、全て分業制になっている。各工程の作業をする人が1人でもいなければ完成しない。

「地震前から、高齢化であと20~30年すると職人さんの数が極端に少なくなるのは目に見えていたんですが、今回の地震で避難されて廃業される人がたくさん出てくるでしょう。同業の人とも話してますが、おそらく半分くらいは廃業すると思います」。

明日には金沢に向かうという二井の表情には、疲れと不安がにじんでいた。

家屋倒壊の明暗を分けたもの

輪島市内で避難所生活を送る人は19日現在4797人に上る。住家被害の全容はまだ把握すらできていないが、市の中心部では至る所で木造家屋が崩れ、その隣で比較的新しそうな家が立っている光景が目につく。国の耐震基準は1981年に大幅に変更され、95年の阪神淡路大震災を経て2000年にさらに耐震基準が見直された。

住民たちに話を聞くと、同じ輪島市河井町内でも07年の能登半島地震より前に建てた古い家ほど、大きく崩れているという。逆に言えば、前回の大地震で被害を受け、大きく建て替えたり改築した家は、倒壊を免れている場合がある。

赤紙を貼られたものの大規模な全壊には至らなかった二井の店も、01年に丸ごと建て替えていた。在宅避難をしている住民に聞くと、「07年に全壊し、その2年後に建てた」という声もあった。それでも玄関には「要注意」と書かれた黄色い紙が貼られ、電気がないなか懐中電灯とろうそくで生活を続けていた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください