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「走る哲学者」為末大が、競技人生を通してたどり着いた「熟達」にいたる「学びのプロセス」とは

ニューズウィーク日本版 / 2024年3月14日 6時48分

学びを楽しむことで、人は幸せに生きていける

為末 『熟達論』を書くときに、最初に編集者の方から「熟達って何のためにやるんですか」と聞かれたんです。私はその答えを、本の中で「自我からの解放」と書きました。振り返ってみると、自分自身の競技人生は、解放への道だったなと思ったんです。

体を型にはめていくというと、不自由になる感じがするじゃないですか。陸上の世界なら、わざわざレーンの上を走って、ハードルという決まった形の障害を跳べるようにしないといけない。でもだんだん体がそれに慣れていくと、最終的にはいろいろな概念から解き放たれて、体そのものが動いていくという世界が来る感じがします。最初はあることに特化して窮屈になる一方で、心理的にはすごく解放感を持っている。その矛盾の中で、最終的には自己が解放される感じがします。

──そうした楽しさは、ビジネスパーソンの学び直しにもつながるように感じました。熟達の考え方をビジネスシーンに応用するとしたら、どんなことが考えられるでしょうか。

為末 まずは好奇心ドリブンな、「面白いと思ってやる」という感覚ですね。ビジネスの世界では「役に立つ人になる」「役に立つことをやる」という圧力がものすごく強いので、放っておくとどんどん何かに特化されていくはずです。だからリスキリングを要求された人は、要請されて役に立つ形になったのに、「それはもう必要ないから別の形になってください」と言われたような、ある意味で裏切られた気持ちになるかもしれない。

『Unlearn(アンラーン)』
 著者:柳川範之、為末大
 出版社:日経BP
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これまでは世界の側にボールがあって、要請された形に自分がなっていくんだという感覚があった。でも今はボールが自分の側に回ってきて、自分から主体的に好奇心や興味に沿って「遊」を仕掛けていく、そしてその結果を社会にあてていくようになってきていると感じます。そのスタート地点としては、「型」ではなく「遊」から考えていくべきなんじゃないか。つまり、探索ありきで、必要なスキルがあればそれを求めていくというスタイルが有効なのではないかと。

今の時代に合わせてリスキリングをしても、これだけ変化のペースが速ければ、5年後にはまた学び直しが必要になる。だから常に自分は変化し続けるんだという前提に立って、学ぶ過程での「遊」における探索感が大切になると思います。

──変化し続けなければならないからこそ、自分の好奇心ありきで学ぶことが大事になりそうですね。

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