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10歳のとき、命を懸けた「冷たい社会への復讐」を誓った...泉房穂氏が語る、成功を導く成功を導く「力の源泉」

ニューズウィーク日本版 / 2024年3月28日 18時36分

ただ、「冷たい社会」を変えた先にある「やさしい社会」のつくり方はたくさんあります。大学生時代の活動も、NHKや民放でメディアの人間として発信していたことも、社会の理不尽を世に問いたいという思いは同じですが、経験したことはまったく違っています。弁護士として、本当に困っている人に本気で寄り添い、個別救済とは何かを考えました。そこからお声がけいただいて国政に出れば、国会や中央省庁の限界も知ることができた。そういうことが全部つながるかたちで、12年間の明石市長職があった。

職業はいろいろ変わっていますが、職業は私にとって、「冷たい社会を変える」という目的を達成するための山道の選択にすぎません。

──最初からキャリアを意識していたというより、キャリアは目的達成の方法を学ぶためのもので、それらがすべて、明石市長としての実績に結実したのですね。

そういう意味では、私のなかで「人生を一周終えた感覚」に近いかもしれません。やることをやり遂げた、大きな充実感でいっぱいです。冷たい、寄り添ってくれない街を、「重たい荷物を持ちましょうか」とみんなが言える街に変えたくて、本当にそうなりましたから。明石は政策も街の風景も変わったけれど、それ以上に変わったのは人のやさしさ。わずか12年で街が変わったと、市民のみなさんからほんまに言われるんです。本当に困っているときに助け合える、そういう街をつくりたいという思いを、自分は叶えられたと考えています。

──「復讐」は若干強めのことばのように感じたのですが、「冷たい社会に復讐したい」という話は周りの方にも語り続けてきたのですか。

たしかに「復讐」というキーワードは、人にペラペラしゃべるようなものではありません。でも、今回本を書くにあたって自分の気持ちを整理してみたとき、一番しっくりきたのが「復讐」だった。ただ、この場合の「復讐」は人に対するものではなくて、理不尽な制度や社会、世の中に対する怒りを示しています。

子どものときから、友人も、近所の人も、学校の先生も、みんな個人としては決して悪い人ではなかった。それなのに、障害を抱える弟はどうしてこんなに冷たい目で見られるんだろう。うちの親父は一生懸命働いているはずなのに、どうしておかずを食べられないんだろう。がんばっても報われない、障害があるというだけで排除される社会に対する、激しい憤り。それをなんとかしたいという強い思いがエネルギーになっていた。その強さを表すことばが、「復讐」でした。

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