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写真花嫁、戦争花嫁...「異人種間結婚」から生まれたもう一つの「日系アメリカ人文学」の100年

ニューズウィーク日本版 / 2024年5月22日 11時5分

仏高級ブランドのシャネルは21日、中国本土での店舗増を計画していると発表した。写真はシャネルのロゴ。2020年6月18日にパリで撮影。(2024年 ロイター/Charles Platiau)

ウォント盛香織(甲南女子大学国際学部国際英語学科教授) アステイオン
<人種差別、家族、ルーツなど「居場所のなさ」や「今の経験」をテーマに進化し続けてきた「日系アメリカ人文学」について。『アステイオン』99号の特集「境界を往還する芸術家たち」より「多人種化する日系アメリカ人作家」を一部抜粋> 

日本人移民が日系アメリカ人となり、
多人種化するまでの物語

2020年のアメリカ国勢調査では、日系アメリカ人はアメリカに現在およそ150万人暮らしている。日本人のアメリカへの移民は明治元年(1868年)のハワイ移民から始まり、アメリカ本土に広がっていった。

当時の日本の家父長・長子制度で生活の資を持たない次男、三男といった男性や、明治の新しい時代の中で、アメリカでの学問やビジネスチャンスを求める男性がアメリカに渡っていった。

こうした人々は、アメリカで一旗揚げた後、帰国することを願う人が多かったが、アメリカでの生活は多くの人々にとって楽なものではなく、その日暮らしをするだけで精一杯であり、帰国は困難であった。

こうした男性はアメリカに根を下ろすことになるが、問題が結婚相手であった。当時のアメリカでは多くの州で異人種間結婚禁止法が施行されており、日本人男性の結婚相手を他人種に求めることは難しかった。

そこで、結婚を希望する男性の中には、故郷の親族や仲人に結婚相手を紹介してもらうよう依頼する者もいた。海を越えてのこの見合いは、当事者の写真と手紙の交換を通じて行われたため、結婚に応じた日本人女性たちは写真花嫁と呼ばれた。

日本人花婿と写真花嫁たちの多くは、やがて子を作った。国籍に関して出生地主義を採るアメリカでは、日本人移民の子どもたちはアメリカ人として生まれ、つまり日系アメリカ人となっていった。

日本人移民とその子どもたちのアメリカでの生活は1941年12月7日に大日本帝国軍がハワイの真珠湾を攻撃した時に一変した。

フランクリン・ルーズベルト大統領は大統領令9066号を発令し、当時アメリカ西海岸に住んでいた約12万人の日系アメリカ人たちを、アメリカに危害を加えうる敵性外国人とし、強制収容を命じ、彼/女たちの生活基盤を一夜にして奪った。

日系アメリカ人強制収容は、当事者たちにとって、日本人であるがゆえに受けた理不尽な人種差別であったことから、強制収容以降、日系アメリカ人たちの中には、日本人ルーツを持つことを恥じ、忠誠なアメリカ人であろうとした人もいた。

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