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なぜ日本の「国語の教科書」に外国文学作品が載っているのか?

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月3日 10時53分

しかし、歴史、つかわれ方、普及度などから判断するなら、やはりシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の「アントニーの演説」と『ヴェニスの商人』の「法廷の場」、およびユーゴー『レ・ミゼラブル』(『ああ無情』)の「銀の燭台」がベストスリーを占めるのではないか。

これら三種の教材を、「外国名作文学三大教材」と呼んでみたい。こうした教材は多くの場合訳者名も明記されており、坪内逍遥や黒岩涙香(のちに豊島与志雄に切り替わっていく)の「名調子」が評価されての採録であることがわかる。

シェイクスピア「ヴェニスの商人の法廷の場」挿絵 佐々政一編『校訂新撰国語読本 巻六』明治書院、1921年 広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース

『ジュリアス・シーザー』の「アントニーの演説」は、シーザー暗殺後、棺を前にしてブルータスとアントニーがそれぞれローマの民衆に自分の正義を訴える場面だ。

『ヴェニスの商人』の「法廷の場」は、書面に基づいてアントーニオの肉を求めるユダヤ人高利貸しのシャイロックが、ポーシャ扮する法学者と議論を闘わせる場面である。

「アントニーの演説」(「棺前の演説」「シーザーの死」のような題もある)は、人の心を動かす演説の技術に、「法廷の場」は、法廷のような公開の場で、相手を打ち負かす討論の技法に、教材の力点がそれぞれ置かれている。

こうした教材が栄えた背景には、演説のような言論活動が自由民権運動や女権運動との関わりで教育上も重視されていたが、日本文学にそれらを効果的に描き、なおかつ教材としての使用に耐えうるものがそもそも少なかったことが考えられる。

しかし、人心をつかむ演説も論敵を打ち負かす討論も近代的な国家には必要不可欠なものだ。

いまでは想像が難しいが、こうした「名作」からかつての日本人は言論のいろはを習得しようとした。そして『ジュリアス・シーザー』も『ヴェニスの商人』も、戦後になっても言語活動の実践を重んじる経験主義の影響もあって、長く教材としての命脈を保った。

外国文学教材最大の定番作品

他方で『レ・ミゼラブル』の「銀の燭台」は、言語活動というよりは道徳・倫理に力点が置かれた教材である。これは、出獄したジャン・バルジャンが泊めてくれる宿もなく困っていたところ、教会でミリエル司教に出会う場面の抜粋である。

ミリエル司教はみすぼらしい身なりの怪しい男を銀の食器で最大限もてなす。しかしジャン・バルジャンはそれに応えるどころか、夜になると食器を教会から持ち逃げしてしまう。

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