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なぜ日本の「国語の教科書」に外国文学作品が載っているのか?

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月3日 10時53分

翌日、ミリエル司教は憲兵に捕らえられて引きだされたジャン・バルジャンを許しただけでなく、食器に加えて、銀の燭台も持ってこさせて手渡す。司教は呆然とするジャン・バルジャンに、新しい人間として生まれ変わることを諭す。

ここでは明らかに、貧しいものに対する哀れみや、因果応報の論理に主軸を置く近世道徳の域を超えて、神の存在を前提にしたキリスト教的な博愛の精神が打ち出されている。

また罪人に対する赦しや更生といった理念もうかがうことができる。西洋やその近代を理解するためにはこういった教材を用いて、その宗教的な心のかたちすら取り入れる必要があったのだ。

とはいえ戦前には、ジャン・バルジャンが教会の物品を盗む描写は問題だったのか、「銀の皿」「同胞兄弟」のような題名で、ミリエル司祭がジャン・バルジャンを銀の食器でもてなす場面までの採録のケースも多かった。

ユーゴ―「銀の皿」挿絵 五十嵐力編『純正国語読本 改訂版 巻五』早稲田図書出版社、1938年 広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース

「銀の燭台」として題名・内容ともに定着するのは、戦後、アメリカの監督の下で作成された中学校の国定教科書に採用されて以降のことである。

「銀の燭台」は戦後も長く定番教材として国語教科書で使用された。現在は国語教科書には載っていないが、大幅に抄訳・エピソード化されて、「許すことのとうとさ」を教えるため、小学校の道徳の教科書でいまだに教材として使用されている。

「銀の燭台」以外にも国語教材から道徳教材に転用された外国文学作品はO・ヘンリー「最後の一葉」やイワン・ツルゲーネフ「うずら」や、オスカー・ワイルド「幸福な王子」。また、意外なところではフョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の一部まで枚挙にいとまがない。

著作権を気にしなくていいうえそもそも遠い海の向こうの出来事である外国文学作品は、翻案してエピソード化するのに向いていたのだ。

ことほどさように、明治以降導入された外国文学教材は私たちの言語や精神のかたちを規定する役割を果たしてきた。

文学作品は、登場人物への同化や共感をさそうという点で、読者の内面に価値観を自然に刷り込むことができる。

外国文学が児童生徒に刷りこんできた「かたち」、それはきわめて雑駁な言い方をしてしまえば、「近代」というのものだった。そして外国文学教材がつかわれたのは国語だけでなく、英語や道徳(修身)といった科目も同様である。

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