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なぜ、私たちはすぐに「正解」が分からないと満足できなくなってしまったのか...「デジタル化」と「紙媒体の弱体化」

ニューズウィーク日本版 / 2024年8月21日 11時35分

バイデン米大統領が11月の大統領選から撤退しハリス副大統領を後継候補として支持した7月21日以降の4週間で、ハリス氏は約5億ドルの資金を集めた。19日、シカゴで撮影(2024年 ロイター/Cheney Orr)

猪木武徳(大阪大学名誉教授) アステイオン
<すぐ分かるような問いには、重要なものは多くない...。『アステイオン』100号の特集「『言論のアリーナ』としての試み」より「紙媒体で生まれる言論の未来」を転載> 

38年も前、わたしは『アステイオン』創刊号に「奴隷・ソフィスト・民主主義」と題する比較的長い文章を執筆する機会を与えられた。

それは、現代産業社会の中に古代ギリシアのアテナイ社会との類似構造、同型性を読み取り、当時喧(かまびす)しく論じられていた「新しい産業社会」のいくつかの問題が、決して突如突き付けられた難問ではないと論ずる試みであった。

第一に、当時急速に進展しつつあったコンピュータ制御による機械のもたらす問題(過去200年ものあいだ繰り返し登場した機械化による失業の恐怖など)、第二に、肥大化した非効率な政府の経済活動を縮小すべきだというナイーブな「小さな政府論」の吟味、第三は、デモクラシーにおけるメディアと言論の自由が抱えもつ諸課題の三点を取り上げ、これらの難問は古代ギリシア、あるいはローマ帝国時代にも存在していたと指摘した。

つまり「新しい産業社会」についての当時の人々の夢想、不安、期待は、程度の差こそあれ歴史的に見ると目新しいものではないとする文章であった。

本稿ではこれらのうち第一点と第三点を、38年経った現在の視点からコメントを加えつつ、「これからの学知とジャーナリズムのイメージ」を模索してみたい。

第二点は、個人主義と物質主義に傾斜しがちなデモクラシーにおける国民相互の連携の必要性、公共精神の重要性に関わる問いである。関心をお持ちの読者は、わたしが『アステイオン』などにこれまで書いたいくつかの文章をお読みいただければ幸いである。

(Ⅰ)1970年代から数値制御による機械・機器が、製造業の現場やホワイトカラーの職場にも急速に導入されるようになった。

人間の労働が機械によって代替され続ければ、雇用はどうなるのか、その結果生まれる余暇時間をわれわれはどう過ごすのか、新技術は社会と文化をどのように変えるのか。

そうした問いに対して、現代の機械化と自動化を、「古代ギリシア時代の奴隷労働」と捉え直せば、古代と現代には構造的な類似点がある。

アテナイのデモクラシーを可能にしたのは、奴隷の存在が市民に十分な余暇を与え、政治に専念する余裕を与えたからだ。

しかし旧稿から40年近くの時を経て、現下の重要課題は新技術が経済活動の現場に及ぼす問題(その典型は雇用の喪失)以上に、新技術が消費者や一般国民の知力や感情に与える影響の方がより重要だと指摘されるようになった。

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