羽生結弦がいま「能登に伝えたい」思い...被災地支援を続ける羽生が語った、3.11の記憶と震災を生きる意味
ニューズウィーク日本版 / 2024年10月4日 17時11分
ライフラインは簡単に戻らないし、スケートのことを考えている余裕は全くなかった。でも多くの方々がチャリティー演技会を企画してくれて、それがきっかけでスケートの練習をしなくちゃ、と考えるようになりました。
さまざまなアイスショーでも被災地を応援しようという空気がありましたし、(ショーの前に)リンクに早く行って練習をさせてもらうなどの支援を受けながら、スケートを続けることができました。
TORU YAGUCHI FOR NEWSWEEK JAPAN
──実際に経験した当事者にしか語れないことがあると思います。今まで暮らしていた町が一瞬にして奪われる、というのはどういう気持ちなのでしょうか。
僕は何かを失ったわけでもなく、正直実感がないんです。親しんできたお店がリニューアルオープンするとか、移転するということってあるじゃないですか。それが一気に町全体で起きる感覚で、見たことのない世界が急に訪れる。「壊れちゃってる」とは思っても、それを悲しいと思う暇もありませんでした。
──被災から2週間後に仙台を離れて、神奈川県のリンクでスケート練習を再開されました。今も能登では、被災した故郷を離れる決断をせざるを得ない方たちがいます。地元を離れたときの羽生さんの思いは。
僕はやるべきことがあったので、そうした使命感から、とにかく地元を離れるしかないという気持ちでいました。家族を残すことにもなったし、自分だけ行っていいのかという葛藤もあった。「自分は被災地から逃げた」という思いはずっと持っていました。
(そんな思いを)持つ必要がないと今なら考えるかもしれないけれど、あの頃はそうした罪悪感にさいなまれながら、自分ができることを精いっぱいやるんだっていう使命感と共に(神奈川に)行きました。
──能登の被災地では、この夏までに希望者の多くが仮設住宅に入り、ようやく生活環境を取り戻しつつある段階です。復旧から復興に目を向けるのはなかなか難しい状況ですが、ご自身の体験として復興への道のりをどう記憶していますか。
僕は16歳だったので、復興に向けて何かしら運動をすることはできなかった。政府の方々や地元の方々が動いてくれるのを待つしかなかったんです。
そんななかで、自分としては被災地の方々のためにスケートを頑張るという、僕にしかできない役割を与えられたと思ってしまった。それは積極的にとか自主的にではなく、どちらかというと受動的な感覚でした。
この記事に関連するニュース
-
羽生結弦 能登チャリティー演技会の舞台裏…共演の鈴木明子氏「いい意味で影響力を生かしている」
東スポWEB / 2024年9月17日 5時7分
-
羽生結弦 能登での〝チャリティー演技会〟ともに企画したテレビ局にも反響「ありがたいです」
東スポWEB / 2024年9月16日 6時8分
-
鈴木明子氏、無良崇人氏、宮原知子氏が能登半島復興に思い「自分の無力さを感じてしまうが…」
東スポWEB / 2024年9月15日 22時12分
-
羽生結弦 6月の被災地・輪島市訪問で固めた思い「悩んでいる方々の近くで滑りたい」
東スポWEB / 2024年9月15日 20時3分
-
「能登のためにできることはないか」羽生結弦の被災地への思い 15日にチャリティー演技会
東スポWEB / 2024年9月12日 5時8分
ランキング
-
1“離婚しそうな夫婦”から“理想の夫婦”へ…藤本美貴、世間の評価にポツリ「私たちは何も変わっていないけど」
エンタメNEXT / 2024年10月4日 15時35分
-
2山崎怜奈が「ネットの玩具にされがち」不満発言…“炎上芸人化”に乃木坂46ファンは何を思う?
日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月4日 17時32分
-
3田原俊彦の娘・可南子&高良健吾が結婚 “発表日”に注目集まる「偶然?」「Wでめでたい」
モデルプレス / 2024年10月4日 15時15分
-
4有村架純「海のはじまり」撮影中まさかの理由でNGに Snow Man目黒蓮も笑い止まらず
モデルプレス / 2024年10月4日 15時7分
-
5優三さんの“あの言葉”がテーマを表している…『ちむどんどん』とも『ちゅらさん』とも違う、『虎に翼』が“朝ドラの歴史的転換点”と言えるワケ
文春オンライン / 2024年10月4日 17時0分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください