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羽生結弦がいま「能登に伝えたい」思い...被災地支援を続ける羽生が語った、3.11の記憶と震災を生きる意味

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月4日 17時11分

それには何十年もかかるかもしれないけれど、笑えるようになるときがきっと来る。そう信じて、無理をせず、時に身を任せていいのかなと思います。

今すぐ笑顔になってほしいと僕は言えないし、僕自身も(宮城県)石巻市など津波の被害に遭った場所に足を運ぶことはなかなかできませんでした。そこで失われたものがあまりに多すぎたし、僕が行っていいのかと、躊躇する気持ちがありました。

でも、自分が金メダルを取ったことや二連覇したこと、金メダルを見せたり演技を見せたりすることによって、もしかしたらみなさんが「自分も頑張ってきた」とか、「自分が生きている意味がある」とか何かしら感じられる小さなきっかけになるかもしれない、そう思って、今やっと活動ができるようになってきました。

きっと何かしらのきっかけがみなさんを待っていると思うので、大丈夫だよ、とは言いたいですね。

9月14日のスケート教室の様子 ©TORU YAGUCHI

──羽生さん自身は、震災があって得たものがあるとすれば、それは何だったと考えますか。

やっぱり命についてすごく考えるようになりました。同じ時ってもう二度と来ない、今という時間は本当に一回きりだということを思うようにもなりました。

あとは、自分の責任みたいなものを常に考えながら生きるようになったと思います。

──責任とは?

僕の演技を見るために、その時間を僕にくれた方々に対する責任ですね。適当なものは見せられない、何の命も心も込めてないような時間は過ごせないと思っています。

あとは、震災を生き延びた人間として、この命をどう生きていくかという責任、そういうものは感じています。

──震災による生と死、悲しみや小さな喜びなどいろいろなものを見てきたと思いますが、それが自身の表現に幅を持たせたと感じることはありますか。

結果としては、という感じですね。震災は起きなければいいことなので。でも、起きてしまったからには何かしらの影響はある。悲しみが深ければ深いほど、本当にちょっとしたことに幸せを感じられる。震災の後、僕はずっと幸せだったら感じられないような幸せ、草の芽吹きみたいなものにも喜びを感じられるようになったんですよね。

そして、こうやっていろんな方とお話をしたり、考えを話す機会があるからこそ、感じられる幸せがあるとも思っています。きっとみなさんもそれぞれ、あのことがあったから今こう感じられるということがあるはずです。

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